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古代の憲法をモーショングラフィックスで表現してみる。〜聖徳太子 憲法十七条

aVinci Resolveという動画ソフトでモーショングラフィックを作ってみている。モチーフは聖徳太子で有名な「憲法十七条」。十七条憲法だと思っていたが、そうじゃないらしい。

 2022年の3月くらいにサンプル動画をつくる機会があって、Imovieでという話だったが、Affinityシリーズのトップランクのクリエイターさんが、DaVinci Resolveでお仕事できます、脱Adobeの話を読んで勢いで使い始める。日数的、経験的にはまだ初心者


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DaVinci Resolveという動画ソフトでモーショングラフィックを作ってみている。モチーフは聖徳太子で有名な「憲法十七条」。十七条憲法だと思っていたが、そうじゃないらしい。

 2022年の3月くらいにサンプル動画をつくる機会があって、Imovieでという話だったが、Affinityシリーズのトップランクのクリエイターさんが、DaVinci Resolveでお仕事できます、脱Adobeの話を読んで勢いで使い始める。日数的、経験的にはまだ初心者。

 

折返し8条まできたので、

チュートリアルにもなればと制作日記を残しておこう。

 

 

● Connect To  でうごきを同期する。

バックの円の回転を、自転ではなく公転もさせてみる。 Fusionもシェイプと普通のマージを組み合わせる。1つ作って、編集でパースつける。

 

● Duplicate に苦戦しながら動かす。

複製ノード。便利。難しくはない。でも、派手なうごきをみたくて派手な設定をすると重くなる。1つずつ増やす。最初の整列する部分は編集でプチぎり。

 

● Fusionでうごきつくるときは小さめがいい。

くるくるサークルが動くバックをなんとか作れた!編集もってきて小さくするとはしっこ切れる。編集でぼかしてなんとかしたけど、経験で見えるTips.ちょうど良い頃合いをこれから見つけよう。

 

●Shapeと普通のマージがくっついた!

srenderが普通のマージにくっついた。いろんなことができそう。

 

●マスキングトランジションとやらをやってみた。

意識してやっとのははじめてかも。文字に光があたったり、斜めで扉がしまったり(ラストのやつ)。

 

 

内容は下記参照。

聖徳太子「十七条憲法」を徹底解説。現代語訳を読んでみたい! | 和樂web 日本文化の入り口マガジン

 

他の動画は下記でみれます。

Tobemi Channel - YouTube

 

「青天を衝け」〜輝きすぎて手をつけられない

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「篤大夫、パリへ」

 

 人が集まるところには勢力争いがる。

 フランスなのかイギリスなのか、薩摩なのが幕府なのか。

 

 志尊淳さん演じる杉浦愛蔵に元気だと言われるいつもの渋沢栄一、やっぱり、マイペースでパリでも節約生活を断行する。昭武の部屋をねぎろうと1回目は通訳に動いてもらえなかったが、2回目はいつも一緒にいる仲間に頼んで成功する。栄一は、いつのまにか勢力を広げている。頼んだり、請負ったり、それが栄一流の勢力拡大なのだと思う。

 

 一方、慶喜バイリンガルで外交している。この時代は特に、バイリンガル外交は、相手をきちんと見ている、聞いている、理解していると示すのに有効だ。言葉がわからないとなると、結局は、侮られる。徳川は案外しぶといと思われると同時に、五代友厚の動きもあり、「日本は案外しぶとい」という外交につながっていると思えた。言葉そのものの力よりも、行動や雰囲気づくりが多弁になる。この慶喜、やっぱり諸外国に負けない日本を作ろうとしているように見える。

 栄一、見るもの聞くものキラキラしているようだ。

 相変わらずの吉沢亮さんの栄一は明るくコメディタッチだが、言葉にも文化にも興味をもち、医療にも興味をもち、今は何もできなくても、これから何かにつながる可能性を胸に刻み付けている。

 そう、遥か先にある存在に手をつけられないことはある。でもそれは全てとはいえないが、いつか、手につかみ、自分で形にして未来につなげることが可能かもしれないのだ。何一つ無駄なことはない、という話もあるが、いくつかは無駄になることもある。だが大事なのは、無駄にならないものがあること。自分のストックになる、未来につながるものがあること。やってみないとわからない。

 昭武が栄一の用意したフランスの部屋をみて、兄の暮らしと重ねる場面が私の心に響いた。栄一の大事な「上様」は、昭武の中にちゃんといた。慶喜の動きをパリで知った栄一はまた、発奮している。きっと、その逆もしかりだ。だから、自分のできることをがんばることは、無駄にはならない。無駄になるかもしれないが、無駄にならないことがあるならば、それは財産だ。

 勢力争いは人の集まるところに勃発する。勝てば官軍、負ければ賊軍、明治維新のときに生まれたこの言葉は、この作品のこれから、を表してもいる。だが、個人的に今回の慶喜は、栄一という未来を送り出した点で、勢力争いに結局、勝つことになるのでは、と思ったりしている。

「青天を衝け」〜結局は立ち位置を固めることから

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「篤太夫、青天の霹靂」

 

 最初から腹を括っていたように見える慶喜さんは、将軍職を引き受ける条件とはいえないまでも、大鉈をふるう気満々である。この人は何気なく、「そーゆーことだったら好きにさせてもらうけど、それでよかったら引き受けるよん」的である。

 それに比べて、栄一はもやもやしてるっぽい。

 もともと徳川は終わっていると、番組第一回から言ってる男だから、わざわざ幕府に巻き込まれるのはちょっと困るっぽい。勝戦にのるのはいいけれど、負けるとわかっている戦に巻き込まれるのは、賢明な栄一には納得いかないようである。いちいち、面倒な旧態依然な日々の仕事で、悩みぱなしなんだろう。

 それは、わかる。

 負け戦の仕事、周囲から認められない仕事、分厚い壁の中で何もできない。誰もがすこしづつ、自分を引き立ててくれる人を持っていて、でもその人といつも仕事ができるわけがないのだから、苦しい状況は続く。

 

 渋沢栄一

 今日は、何度も、これから栄一を失意に落とし込む可能性が歴史にあることを考えてしまった。この回に知り合った土方との対話は、歴史の事実として残っているのだろうか。お互いを認め合ったわけでもなく、わかりあったわけでもなく、百姓の出身であることで親しみを感じていたという、人生の分かれ目。栄一はいつか彼の選ぶ道を知り、小栗の最後を知り、慶喜が、歴史に封じ込められるのを味わう。幕臣になったこと以上のこれから起こりうる失意の日々をどう、跳ね返すのだろう。

 跳ね返すさまを、この作品で見たい。

 本日の番組をみてひたすらそう思った。

 そして、今日の栄一たちが自らの立ち位置をしっかり見つめて固めようとしているさまに、覚悟を見る。結局、自分の選んだ道がどうなるかなどはわかるはずはなく、今は立ち位置を固めることからしかできないのだと思った。そしてそれが、一番の自分の武器になるのだから、と。

「青天を衝け」〜続ける工夫、終わらせない決意

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「勘定組頭渋沢篤太夫

 

 「信用経済」が始まった。貨幣の原型を説明する吉沢亮さんは相変わらず軽快に演じるし、吉沢さんの栄一と対する慶喜は、飄々として笑みを堪えているようだ。おしゃべりな栄一を子供時代に貼られたレッテルは青年時代にも発揮して、それが慶喜との関係性をつくっている。「気鬱が晴れる」そう、見ている間になんだか気持ちが和らいで張り詰めた糸がゆるんでくることがある。栄一喜作と慶喜の初めての顔合わせ、あのときは円四郎もいて、慶喜も若者の熱意を自分の力に変えていた気がする。今回も同じ。貨幣の説明の熱弁よりも慶喜は栄一の顔を見ていて、それを自分の力に変えているような気がした。

 まっすぐに意見のやりとりをして、物事がいつも決まるわけではないし、誰かが悪くて誰かの成果で物事が動くわけでもない。わかっていても動けなくて、だから、誰かのまたは何かのきっかけが、大きな潮目になることもある。

 

 今回の作品は、渋沢栄一のスタート地点で、これから彼は世情の波、勘定という役職で意識している小栗の未来、自分にやってくる文句などを味わうのだろうが、今それはまだ先のお話しだ。

 慶喜が栄一が思うよりもずっと、それこそとんでもなく大きく苦しんでいるだろうことを、喜作と住む場所が変わる場面で、さらっと知らされる。

 草彅剛さんの慶喜は、円四郎の代わりがいないこの時期、恐ろしく重い責を天子にも将軍にも申し訳ないと思われながらも背負わされ、一方的な文句も浴び、世情が見えているから自分自身にも、過大な荷物を貸している。表情が一時期のように消えている。面白い表現方法だ。このとき、どこまで自分の運命が見えているのか、おそらくこの先、栄一に吐露する場面が見れたらよいな、と思った。

 全く個人的になのだが、家茂に将軍を続けさせようとし、大政奉還した慶喜は、日本を続けさせようと工夫しまくっているような気がしている。日本を終わらせず、日本を続けさせる。これは、渋沢栄一がテーマのこの作品における慶喜というものを考えたら、思うところである。

 終わり、で、あとはおまかせすると言われたら、終わるのだ。

 長七郎のお金を送り続ければ、長七郎は助かる可能性を持ち続けられる。終わらなければ続けられる。続けられるというのは、生きることなのだ。

 工夫して工夫して。

 だが、今回描かれたのは、栄一の、栄一たらんとしたスタート地点。これからは、庭先で慶喜と出会って物事が決まるスケールではない。幕臣となってからの正念場をどうするのかが、現実を生きる私たちと重なるところ、きっとあるんじゃないか、なって思ったりしてしまった。

 

 

「青天を衝け」〜ゴールは同じでも風景が違う道がある

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 「一橋の懐」

 今回の放送は、喜作と道が別れるところが描かれる。幼い頃からいつも一緒にいた栄一と喜作。その二人が道を違える。比較的史実に忠実に描かれるとされている作品だから、巡り巡って、盟友となるのだが、その時の喜作は、栄一と同じ風景を見ているのか、一旦、闘うことを選んで、その後、実業家となる転換点が、どう描かれるのか楽しみである。

 

 栄一と喜作を見ていると、一橋という会社が、適材適所で人を配していこうとしているように思える。天狗党への密使は明らかに栄一ではなくて、喜作の方が適している。ギリギリの状態の天狗党面々に対するのは、キリッとした顔ができる喜作の佇まいの方がいい。これは、平岡円四郎も評していた。逆におかしれえ栄一は、臨機応変でよく喋って、人なつっこく、仲間を集めていく。

 すこしずつ栄一と喜作が見た風景が変わっていく。一橋をよくしようとする二人の目指すゴールは同じでも、違う風景をみはじめたから、自分ならもっと戦える思う喜作と戦うなら戦えるようにしないといけない、と思う栄一と道を違えるようになっていく。その序章が、吉沢亮さんのコメディカルな演技で描かれている回である。

 幕府の方でも小栗上野介武田真治さんを配して、司馬遼太郎氏から明治の父と呼ばれる姿をきっちり描こうとしている。井伊直弼岸谷五朗さんを配したように、実はかなりしっかり演技される武田真治さんがきて興味津々になった。岸谷五朗さんの井伊直弼で描かれた方向性も話題になったが、出番が少なくても武田小栗もちょっと気になっている。

 

 そもそも、今回の慶喜は別の風景をずって見ている。だから、ずっと目立っている。本人は輝きなどど言っていたが、徳川に生まれ、やるべきことはわかっていても、違う風景をずっと、見ていて、家慶に烈公も自分にない別のやり方に何か期待したのだ。

 その慶喜が今回の栄一の提言を許すのは当たり前。

 違うやり方でも同じ成果になるなら、筋が通っている限りやれないよりやる方がいい。やり方が違うからと排除しない慶喜は、そもそも幕府の中で違う風景を見ている。

 慶喜と栄一が並ぶと、それぞれの側に平岡円四郎がいる回だった。

 その風景を想像すると、涙がでてくる回だった。

 

 

 

コロナ禍の道すがら〜暗闇の近くでもやもや

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 明らかに暗闇に向かって階段を降りているような感じがするんだ。コロナ禍のこの国でウイルスは、想定内の変化をとげている。他の国の名前を変異株につけているけれども、あの階段の向こうで、この変異株は「日本株」と呼ばれているような気がする。

 

 

このウイルスには「スパイクたんぱく質」に「N501Y」と呼ばれる変異があることが分かっています。

これは「スパイクたんぱく質」の501番目のアミノ酸アスパラギン(略号N)からチロシン(略号Y)に置き換わっているという意味です。

変異ウイルス Q&A|NHK

 「N501Y」の変異があるのは
イギリス型と呼ばれるもので、特に関西で広がっています。
一方、「E484K」のみの変異があるのは
どこからきたタイプかはわかっていませんが、
東京の陽性者のうち、およそ半数を占めています。

 

#077 変異「N501Y」「E484K」違いは?|プライチ|news zero|日本テレビ

 

 外的要因から変化が起きるのは当然のことで、ウイルスも例外でなく、コロナ禍が長引き広がればウイルスは変化する。500年前の人間と 2021年の現在とでも、背の高さ骨格、話し言葉、肌の色目の色など範囲を設けられないほど違っているはずだ。それは同時の気候であったり、社会環境であったりの外的要因によるものもある。

 未曾有のコロナ禍の中で、経験がないからわからない、というのは、出来ない理由にはならない。効果的ではなくても、失敗をしてもやらないよりはやる方がいいに決まっている。

 解決の糸口が報道されても、解決にはならない連日の報道の中で、今、世の中に蔓延しているのは、もやもやした感じではないだろうか。シンプルな方向に全員が進むことがいいことだと思わないが、もやもやしたままで、疲労だけが蓄積し、我慢がきかなくなることで引き起こす悲劇は見て見ぬふりをするわけにはいけなくなっている。

 

 なんとかクリアな方法はないものか。

 その気持ちは危険であるが、暗闇は見えているのに、何もできずもやもやしているかのような毎日が続いている不安が消えない辛さはある。そんなとき、かかりつけ医が声をかけてくれた「がんばりましょう」という声を思い出す。コロナ禍の最前線でないが、地域の健康を守る医療従事者の言葉は、もやもやを抱え続ける辛さを癒してくれる。一緒に、頑張りましょう、なのだ。身近な誰かといっしょに。

 

私の基準

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 損得を考えようとしたら、立ち止まっていた。間違っているかもしれないと思うことにも疲れた。絶対にうまくいく方法を考えようとしていることに気づいて、それが無駄だということはわかった。 

 いくつかの課題の中、シンプルで現在進行形の命題は新型コロナウイルスに対する心構えだ。不要不急の行動を控えるという要請の、何を不要不急と考えるか。

 基準の上と下では、結果が全く違う場合がある。

 とてもしっかりと、感染症対策をしているからという理由で、たまには楽しいことをしないといけないと思う理由で、不要不急のラインを少し移動してもいいかどうか。医療体制が逼迫しなくなり、社会が正常に動き、コロナ禍と呼ばれる状態が過去になったとき、もちろん移動しても良いのだけど、その以前の段階で、基準で上下動を考えることがあってももちろん、いいのである。

 踏ん張る理由は、最悪の結果になることで、そうならないために面倒だと思うことはその程度と思えるのである。

 もっとわかりやすいのは交通ルールを守ること。免許更新の講習で講師の方が話してくれた、交通事故の先の顛末。

 面倒にならないように関わらないように生きていくことと、今きちんと話して十分な時間を費やすべきことの必要性。ラクで楽しい時間を減らしても真剣に向き合うべきことが優先することがあるという必要性。あとでそうやって踏ん張っていたことが無駄になることと、よかったと思うことの方が、無駄になり、損をしたと思うよりもずっと納得できるのではないかと。

 それもこれも綿密に計算して出てきた答えとは言えないが、揺らがないでいたときの方がずっと、ずっと、気持ちにストンとくる。そのストンと来る感じをイメージできたら、そっちへいってみようと思うのである。