水がある限り金魚は泳ぐ

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「青天を衝け」〜結局は立ち位置を固めることから

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「篤太夫、青天の霹靂」

 

 最初から腹を括っていたように見える慶喜さんは、将軍職を引き受ける条件とはいえないまでも、大鉈をふるう気満々である。この人は何気なく、「そーゆーことだったら好きにさせてもらうけど、それでよかったら引き受けるよん」的である。

 それに比べて、栄一はもやもやしてるっぽい。

 もともと徳川は終わっていると、番組第一回から言ってる男だから、わざわざ幕府に巻き込まれるのはちょっと困るっぽい。勝戦にのるのはいいけれど、負けるとわかっている戦に巻き込まれるのは、賢明な栄一には納得いかないようである。いちいち、面倒な旧態依然な日々の仕事で、悩みぱなしなんだろう。

 それは、わかる。

 負け戦の仕事、周囲から認められない仕事、分厚い壁の中で何もできない。誰もがすこしづつ、自分を引き立ててくれる人を持っていて、でもその人といつも仕事ができるわけがないのだから、苦しい状況は続く。

 

 渋沢栄一

 今日は、何度も、これから栄一を失意に落とし込む可能性が歴史にあることを考えてしまった。この回に知り合った土方との対話は、歴史の事実として残っているのだろうか。お互いを認め合ったわけでもなく、わかりあったわけでもなく、百姓の出身であることで親しみを感じていたという、人生の分かれ目。栄一はいつか彼の選ぶ道を知り、小栗の最後を知り、慶喜が、歴史に封じ込められるのを味わう。幕臣になったこと以上のこれから起こりうる失意の日々をどう、跳ね返すのだろう。

 跳ね返すさまを、この作品で見たい。

 本日の番組をみてひたすらそう思った。

 そして、今日の栄一たちが自らの立ち位置をしっかり見つめて固めようとしているさまに、覚悟を見る。結局、自分の選んだ道がどうなるかなどはわかるはずはなく、今は立ち位置を固めることからしかできないのだと思った。そしてそれが、一番の自分の武器になるのだから、と。