水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

あの時は、人と話をするのも怖かったのである。

 職場の新入社員さんが年齢の近い人とランチに行ってるのを見かけた。微笑ましいなあ〜。こちとら毎度のことのようにおひとりさまである。

 

 そういえば私も、年齢の近い連中とランチのみならず、飲みにも行ったなあ〜。楽しかったと同時に、その楽しさに思わぬしっぺ返しをくらったことを思い出した。

  当時勤めていた会社では、私と遊んでくれた人も、私もまだ若く、それぞれ別の上司がいた。しっぺ返しをくらった原因は私がみんなよりも先輩だったこともある。ちょっくら会社と私がズレていたことが大きな原因だろうけど。

 

  よく覚えているのは、私が出した企画に上司の一人が指摘した台詞である。

 「あなたの企画は、ウチの会社としての企画じゃなくて、よその会社の企画みたい」

 

  私が 当時の会社に採用された理由も、そのズレを期待されたからだろうが、現場ではそのズレが微妙な亀裂になっていた気がする。

  仕事で一緒にいることの多い先輩には飲みに連れていってもらい、一人暮らしのお家に招いてもらえるような友達も出来た。その延長で、自分より後に入社した後輩達とも連れ立って飲みにいったつもりだった。

 

 それから数日後。

 

「あの人、自分の仲間増やそうとしてるで」的な噂が流れてきた。

 あの人、とは私のことである。それ、何?と驚いたのは言うまでもない。心当たりが全くないのだ。放っておいてはいけない、と相談できそうな職場の先輩に、電話で話を聞いてもらった。内容はよく覚えてないが、その噂はあってしかるべき状態だとやんわりと言われたような気がする。ただし、私を知ってる人間はそんなことを思ってないだろうとも。全ては記憶だし、大事なのは、時間をとって相談にのってくださったことへの感謝を忘れないことだと思ってる。また、身近な人から信頼されていない状況ではない、と証明してくださったことも感謝すべきだろう。

 

 問題は「その噂があってしかるべき状態」だってことだった。後輩たちにも上司がいる。私と話すことで、私と会社とのズレが広がる可能性がある。

 とか、その時は冷静に判断なんか出来てないけど、直感的に、こりゃアカンと思った。身近な先輩や、気のあった友達と話すまではオK。でも、それ以上は要注意。そうじゃないと、マズイことになりかねない。

 

 人とのおしゃべり。それが自分ではどうにもならない方向へ自分を運んでいくことを初めて社会で学んだとも思った。正直、ちょっと怖かった。

 念のため言っておくが、当時の後輩、友人、私も、社内の悪口をいうような飲み会は一度もした覚えがない。くだらないことを言って笑っていただけだ。

 

 私は「新しい風を社内に吹き込むための新入社員」だったから、私の上司さんたちも折り込み済みで、いろんなことが許されていたような気もする。でも、後輩たちはそうではない。後輩たちの上司さんたちは、一人前になってほしいからこそ、教えたいことが当然あったはずだ。それを私が邪魔している可能性だってあったのである。

 

 しばらくは人と話すがの少し怖かった覚えがある。ただ、先の電話をかけた先輩だけでなく、一緒に働く先輩や、大学時代の友人などに積極的にこの話をして助言を乞うた。やはりここでも、中身がどうのこうの、よりも、聞いてくれたことや、助言をくれたことに対しての感謝の気持ちしかないし、おそらく、それが、私を社会人として成長させてくれたのだとも思う。

 このことの顛末で、私は誤解されやすいかも、という覚悟は出来た。だが、内向的な性格になったとかは口が裂けてもいえない。注意深くはなったんじゃないかしらん、と自分では思っていても、当時と同じく、思わぬところで、思わぬ反応があるわけだし。

 

 

 

 今はランチも、おひとりさまで行くことが多い。だが常連のお店の方々とは時折、挨拶を交わしたりしている。時には映画の話や、家族の話も。ww