水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

2013年8月。戦争を疑似体験した思い出を掘り起こしてみる。

 

 お盆を過ぎても暑い日々が続く。

 戦争を知らない世代にとっても、「夏のイメージ」の中に戦争はあると思う。いや、思うじゃない、あるはずだ。物心ついた頃に、8月15日が終戦記念日だという話題がどこかで起こる。日本中のどこかで起こり、そこにも子供がいて、オトナ達はわかんないだろーなーという顔をしながら教えるのだ。

「日本にも戦争があったんだよ」

 おおざっぱな伝え方は、子供に手がかりを残すためだ。この先、普通に勉強すれば、その戦争のことだけでなく、歴史上の戦争も知ることになるし、世界中至るところで今も戦争が起きていることも知るだろう。

 だが、8月にオトナから聞かされる初めての「戦争」の言葉は別格なのだ。

 

 幼い罪を犯した思い出がある。

 親戚の家で古い写真を見せてもらったときのこと。ひときわ大きなキノコ雲の写真を見て、私は本当に重い罪を犯した。幼いから許されたが、重い重い罪だ。

「キレイ」

 オトナ達が凍り付いた感覚と写真の背景を説明してもらったことは覚えている。直後に、自分が激しく罪の意識を感じたことも。

 

 旅行が好きで、日本中いろんなところを回った時期があった。そんとき、この国に生まれたら「絶対行っとかなアカンとこ」印をつけた場所があった。広島平和記念館である。当時は、「原爆ドームは行っとかなアカンとこ」みたいな言い方をしていた。もちろん、行ったし、記憶に残ってるし、「行っとかなアカンとこ」意識さえも継続していて、ときどき人に手前勝手に広めていたりする。

 

 和歌山に友ヶ島というところがある。夏は美しいところで、家族連れで磯遊びするにもおすすめらしいのだが、私が訪れた目的は、第二次世界大戦が終わるまでは日本軍の軍用地で、一般の人が入れる場所じゃなかった話の確認と大戦中の施設が残っていることからだった。実際、点在する施設に圧倒される。狭いレンガのトンネルを抜け、走り、多くの人が生活し、戦争の時代を生きた生々しさを感じてしまった。

 

 いくつかみた戦争映画、本もそうだ。

 その物語になった風景が生々しく現実となったのは、「阪神淡路大震災」。映画でみた焼け野原が現実となってテレビの画面にあった。映画じゃなくて現実。関西人の私にとっては、本当に身近な場所が無くなっていた。たくさんの命とともに。「あれ」と一緒だと思った。「あれ」とはもちろん、あの、戦争。悼む。痛む。

 

 仕事で、戦争に関わる写真集に携わった。日本人が中国の方を収容している時の記録だった。覚えているのは、人間一人が入れる箱に、中国人の方を入れておく拷問のエピソード。写真もあった気がする。狭い、と思った気がする。目を背けたいと思った気がする。背けてはいけない、と思った気もする。

 うろ覚えでも鮮烈な記憶がある。

ぼくたちの好きな戦争」という本と、森村誠一氏の本にあった「731部隊の記録が、今の医学に役立っている」らしいという記述である。作品そのものも、読み応えがあった。その上で、戦争がプラスの効果をもたらす発想を知った作品でもある。だからこそ、利益をもたらすから戦争が起こることがある。こういう側面を鑑み、国政選挙、地方自治体の投票を含めいろんな決定を私たちはしないといけない。世界のどこかで戦争が起こっていること、基地を持つ地域のこと、など、いろんなニュースは人ごとじゃない。

 

 今年は本当に暑い夏だ。年齢を重ね、たくさんの疑似体験をした戦争。あの時と同じ夏の中で、私たちは生きている。

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