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「残穢【ざんえ】 -住んではいけない部屋-」〜ミルカ、ミナイカ ミエナイカ

 

残穢[ざんえ]―住んではいけない部屋― [DVD]

  背中を向いていると聞こえる、掃除をするような音のする部屋。橋本愛演じる久保さんの手紙を雑誌編集者から受け取った竹内結子扮する、作家である私。いつのまにか二人は共に行動するようになり、久保さんが住んでいる部屋での現象は、部屋ではなく、場所に関わるものだと突き止める。

 

 久保さんが聞いた「音」から始まった物語はすぐに、勘の鋭い子供によって「見える」のことが示唆される。 

 作家が取材する手法で、二人の女性は、歴史をさがのぼる。どんな場所も、その人が住む前に、その建物が建つ前に、誰かがいた。当時を知る人の話を聞きながら、連綿と続くのは、タイトルである「残穢」。積もりも積もって膨れ上がったもの。

 

「殺されたもののゆくえ」という民俗学の本をずーと前に読んでいたから、どんな場所にも以前、さまざまな誰かがいたこをと意識することが容易かった。特に、この映画では、主役クラスの竹内結子橋本愛に、後半にでてくる佐々木蔵之介、坂口健太郎といった華やかななキャストとは別に、その場所に住んでいた、過去の人々は市井の情景で、実力があキャストがリアルに演じていた。彼らのまなざし、悲痛な叫び、恨み、虚ろさ、それらは華やかなキャストが時に打ち消すが、ラストに進むにつれ、消えてはいないことがわかってくる。

 

消えるはずはないのだ。

 

綺麗に冒頭のエピソードと、竹内結子の仕事とが結びつく。時に、なごやかに見える竹内結子と編集者、山下容莉枝だが、全部つながっていることにも気づかされる。物語の構造の恐怖をあえて、華やかなキャストが薄めているとは思う。だが、消えているはずはないのだ。

 

ラストシーン。見えている人にはやはり見えていた。だが、見えない人には見えてないのだ。そしてふと、久保さんのいたマンションに住んでいたことのある若い男性が、自殺するときに、新しいマンションの大家さんに、「迷惑をかけることを詫びる」存在としてでてきたことを思い出す。大家さんは見たのは、この物語の核になる恐怖にからめられた男性だが、自殺することで迷惑をかけることを気に病む優しい青年でもある。

 

ミルカ、ミナイカ ミエナイカ

そんなことを考えた。青年を気遣う大家さんは優しさから彼の姿を見た。どんな場所でもたくましく生きるご婦人方には見えず、そして、見えなかったはずが、見ることになる登場人物もいる。特に、あまり心霊現象を信じてないと思っていた主人公私が、取材によって理解をしたことによりまず、ミルマエに「音」からはじまることになる。

 

私はまた、あの本を思い出す。殺されたもののゆくえ。

よく思い出すのは、古来からその場所でいきてきた人々が文明に追われたエピソード。私たちは何も知らず、そんな場所で生きているのだとまた思い知った。