「青天を衝け」〜輝きすぎて手をつけられない
「篤大夫、パリへ」
人が集まるところには勢力争いがる。
フランスなのかイギリスなのか、薩摩なのが幕府なのか。
志尊淳さん演じる杉浦愛蔵に元気だと言われるいつもの渋沢栄一、やっぱり、マイペースでパリでも節約生活を断行する。昭武の部屋をねぎろうと1回目は通訳に動いてもらえなかったが、2回目はいつも一緒にいる仲間に頼んで成功する。栄一は、いつのまにか勢力を広げている。頼んだり、請負ったり、それが栄一流の勢力拡大なのだと思う。
一方、慶喜はバイリンガルで外交している。この時代は特に、バイリンガル外交は、相手をきちんと見ている、聞いている、理解していると示すのに有効だ。言葉がわからないとなると、結局は、侮られる。徳川は案外しぶといと思われると同時に、五代友厚の動きもあり、「日本は案外しぶとい」という外交につながっていると思えた。言葉そのものの力よりも、行動や雰囲気づくりが多弁になる。この慶喜、やっぱり諸外国に負けない日本を作ろうとしているように見える。
栄一、見るもの聞くものキラキラしているようだ。
相変わらずの吉沢亮さんの栄一は明るくコメディタッチだが、言葉にも文化にも興味をもち、医療にも興味をもち、今は何もできなくても、これから何かにつながる可能性を胸に刻み付けている。
そう、遥か先にある存在に手をつけられないことはある。でもそれは全てとはいえないが、いつか、手につかみ、自分で形にして未来につなげることが可能かもしれないのだ。何一つ無駄なことはない、という話もあるが、いくつかは無駄になることもある。だが大事なのは、無駄にならないものがあること。自分のストックになる、未来につながるものがあること。やってみないとわからない。
昭武が栄一の用意したフランスの部屋をみて、兄の暮らしと重ねる場面が私の心に響いた。栄一の大事な「上様」は、昭武の中にちゃんといた。慶喜の動きをパリで知った栄一はまた、発奮している。きっと、その逆もしかりだ。だから、自分のできることをがんばることは、無駄にはならない。無駄になるかもしれないが、無駄にならないことがあるならば、それは財産だ。
勢力争いは人の集まるところに勃発する。勝てば官軍、負ければ賊軍、明治維新のときに生まれたこの言葉は、この作品のこれから、を表してもいる。だが、個人的に今回の慶喜は、栄一という未来を送り出した点で、勢力争いに結局、勝つことになるのでは、と思ったりしている。