コロナ禍の道すがら〜暗闇の近くでもやもや
明らかに暗闇に向かって階段を降りているような感じがするんだ。コロナ禍のこの国でウイルスは、想定内の変化をとげている。他の国の名前を変異株につけているけれども、あの階段の向こうで、この変異株は「日本株」と呼ばれているような気がする。
このウイルスには「スパイクたんぱく質」に「N501Y」と呼ばれる変異があることが分かっています。
これは「スパイクたんぱく質」の501番目のアミノ酸がアスパラギン(略号N)からチロシン(略号Y)に置き換わっているという意味です。
「N501Y」の変異があるのは
イギリス型と呼ばれるもので、特に関西で広がっています。
一方、「E484K」のみの変異があるのは
どこからきたタイプかはわかっていませんが、
東京の陽性者のうち、およそ半数を占めています。
外的要因から変化が起きるのは当然のことで、ウイルスも例外でなく、コロナ禍が長引き広がればウイルスは変化する。500年前の人間と 2021年の現在とでも、背の高さ骨格、話し言葉、肌の色目の色など範囲を設けられないほど違っているはずだ。それは同時の気候であったり、社会環境であったりの外的要因によるものもある。
未曾有のコロナ禍の中で、経験がないからわからない、というのは、出来ない理由にはならない。効果的ではなくても、失敗をしてもやらないよりはやる方がいいに決まっている。
解決の糸口が報道されても、解決にはならない連日の報道の中で、今、世の中に蔓延しているのは、もやもやした感じではないだろうか。シンプルな方向に全員が進むことがいいことだと思わないが、もやもやしたままで、疲労だけが蓄積し、我慢がきかなくなることで引き起こす悲劇は見て見ぬふりをするわけにはいけなくなっている。
なんとかクリアな方法はないものか。
その気持ちは危険であるが、暗闇は見えているのに、何もできずもやもやしているかのような毎日が続いている不安が消えない辛さはある。そんなとき、かかりつけ医が声をかけてくれた「がんばりましょう」という声を思い出す。コロナ禍の最前線でないが、地域の健康を守る医療従事者の言葉は、もやもやを抱え続ける辛さを癒してくれる。一緒に、頑張りましょう、なのだ。身近な誰かといっしょに。