水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

私の基準

f:id:miisan555:20210405222821j:plain

 損得を考えようとしたら、立ち止まっていた。間違っているかもしれないと思うことにも疲れた。絶対にうまくいく方法を考えようとしていることに気づいて、それが無駄だということはわかった。 

 いくつかの課題の中、シンプルで現在進行形の命題は新型コロナウイルスに対する心構えだ。不要不急の行動を控えるという要請の、何を不要不急と考えるか。

 基準の上と下では、結果が全く違う場合がある。

 とてもしっかりと、感染症対策をしているからという理由で、たまには楽しいことをしないといけないと思う理由で、不要不急のラインを少し移動してもいいかどうか。医療体制が逼迫しなくなり、社会が正常に動き、コロナ禍と呼ばれる状態が過去になったとき、もちろん移動しても良いのだけど、その以前の段階で、基準で上下動を考えることがあってももちろん、いいのである。

 踏ん張る理由は、最悪の結果になることで、そうならないために面倒だと思うことはその程度と思えるのである。

 もっとわかりやすいのは交通ルールを守ること。免許更新の講習で講師の方が話してくれた、交通事故の先の顛末。

 面倒にならないように関わらないように生きていくことと、今きちんと話して十分な時間を費やすべきことの必要性。ラクで楽しい時間を減らしても真剣に向き合うべきことが優先することがあるという必要性。あとでそうやって踏ん張っていたことが無駄になることと、よかったと思うことの方が、無駄になり、損をしたと思うよりもずっと納得できるのではないかと。

 それもこれも綿密に計算して出てきた答えとは言えないが、揺らがないでいたときの方がずっと、ずっと、気持ちにストンとくる。そのストンと来る感じをイメージできたら、そっちへいってみようと思うのである。