水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

オーディションには応援する機能がついていた〜NiZi Project 感想文

Make you happy

 

 熱量のあるオーディション番組を見るのは楽しい。

 誰もが名前を知るアーティストを輩出したオーディション番組を何度か観たことがある。必ず受かるだろう、と思う人材が、最後まで全力を出し切る姿と同時に、誰が受かるか、どいう興味もある。受かってほしいと願いながら見ることもあるし、受かってうれしい、受からなくて切ないという感情も湧く。

 だが、オーディション番組は、もはや「合格するか」というだけではなくなってきた。

 J.Y.Park氏が地方三次予選から臨席し、番組は始まる。最初に審査の基準がしっかり語られる。歌やダンスに人柄、スター性。地方予選で選ばれた少女たちの首に、J.Y.Park氏自らが首に四角形に対角線の枠がついたペンダントがかけられ、各基準に合わせてキューブが嵌められる。そんな番組的演出は、審査基準のみ継続しているが、実は少しづつ薄れていく。地方から、東京合宿、韓国合宿へ進む度に人数が減っていくが、その基準は順位である。

 人数が減る度に、観る側には応援する準備が整っていく。地方予選で取り上げられた少女たちは、間違いなく、東京、韓国へ進む人材だ。がんばっている姿と、どんどん垢抜けていく姿を観ることになる。歌やダンス、ラップそれぞれの欠点が修正され、観る側に、何かを届ける姿勢が育まれていく。プロの成長よりも、デビュー前の彼女たちの成長は著しく、そのスピードが魅力となっていく。

 オーディションから「推し」が生まれる機能がもはや組み込まれているのだ。

 そして、デビューと同時に「推し」をもっと輝かせたいという気持ちが、購入につながる。オーディションの中に、一定の成功のラインまでプランになっているのだ。

 ただ、その「あざとさ」は非難するものでは、決してない。オーディション後に、観る側はさらに熱量を長くもって、アーティストを応援できるのである。「推し」を持つことは、間違いなく、楽しいことなのだ。ビジネスと言ってしまえば、そこまで。だが、ワクワクする気持ちが人生に生まれるなら、限度を超えない限りは正しいお金の使い方の範囲内に入る。

 

 韓国での合宿でたびたび行われるミッションと呼ばれる舞台は、細かいところまで考えられた衣装、照明、音響などの中で作りあげられていた。オーディションとして、華やかな舞台の中での彼女たちを観るためのものではあるが、総合的なエンターテイメント力が、J.Y.Park氏が率いるJYPエンターテイメントの力の高さを見せつけられる。

 私たちが安心して「応援」できるものが当然のように出来上がっていく。

 最後に、TOPで合格したマコに対して、J.Y.Park氏が言った言葉を記しておきたい。歌やダンスだけでなく、人柄の評価も高い彼女に対し彼は、「成功しても今の姿勢を忘れない人だと思う」と言っていた。共にデビューを目指す練習生への優しいまなざし、丁寧な受けごたえを終始続けていた。彼女がいるチームのチームワークへの評価も高かった。いわば、謙虚ともいえる姿勢である。このイメージが続く限り、観る側はより長く応援できるようになると思う。

貯めていたものが未来を決める~漫才師という荒野に歩き出すミルクボーイ考

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 M-1グランプリ2019オンエア直前のラジオで、優勝候補の3組を出演者さんたちがワチャワチャ良いながら話していた。最もな1枠は、敗者復活枠で、和牛、ミキ、アインシュタインといった魅力的なメンツからメキメキ腕を上げてきたメンバーまでに期待がかかるのは当たり前だった。

 そのとき、出演者さんたち、あれ?と思うことに気づく。あいまいな記憶だが、ほぼ全員が「ミルクボーイ」を上げていたのだ。ギャロップの林さんのエピソードもそこにあり、そのときは、関西人が推す漫才師なのだなあ、と思う程度で聞いていた。

 自宅で番組スタートから観ることができず、ニューヨーク、かまいたち、を聞き逃す。かまいたちの審査員のコメントからの鑑賞。敗者復活は和牛。面白い漫才。

 あれ?と気づいたのは、上沼恵美子さんが、和牛に吠えたぐらいだった。あのコメントの中身は、決して誹謗中傷ではない。今まで観たことないM-1だと気づいている本能的な感覚から発せられた気がしていた。

 M-1優勝、またはファイナリストの多くが華々しい活躍を見せているのは、本人たちの実力が勝ちとったものである。間違いなく。だがそれが、M-1を芸を競うものから遠ざけていたように思える。人生をかけるのも、売れたいと思うのも、それはそれで付加されていい。でも、肝心の「なにか大事なもの」から遠ざかってきていた。

 奇しくも、ミルクボーイ、かまいたち、コンビは、ネタの中にお客さんとからむ、という内容を入れていた。お客さんが喜ぶと頭を振りたくなるぺこぱ、がいた。審査員さんたち、気づいている気がした。今回のファイナリストを新人ホステスさん絡みで例えていた松本人志さんは、他の店で腕をあげている人たちの集まりだと笑いを交えて言った。上沼さんは、寄席であると、言った。オール巨人さんは、ファイナリストのこれまでのネタをチェックしている。知名度が低いことは関係ない。既にもう、お客さんを自分たちの芸で笑わせるという漫才師さんたちの集まり。今までももちろんそうだったけど、2019年は売れたい、などの付加価値の前に、その純然たるものの割合がずっとず~と高かったのだと思う。

 その2019年度のM-1優勝が、ミルクボーイだった。

 このブログを書いている現在、彼らは興味深い発信を続けている。大阪を基盤に、とのこと。今までのyoutube動画、100万回は再生されているだろう過去の漫才には、広告をつけないとのこと。2019年オールザッツ漫才で、コーンフレークと最中をやらなかったこと(気づいている芸人さんのコメント有り)。その有名な2つのネタでささやきボイス版の動画配信したこと。もともと、ディスり気味で万人受けを狙わないネタも多い。自分たちのイベント『漫才ブーム』の舞台に呼ぶ後輩たちも、なかなか尖ったメンツ。

 優勝してから発信しはじめたのは、今までのミルクボーイそのものだ。小さな塵、大きな塊、積み重なって貯まったものが、M-1につながったと、発信しはじめている。M-1優勝のミルクボーイがこれから始まるのではなく、芸事を挫折しながら進み、M-1優勝までやっと辿り着き、さらに広がる漫才師という荒野を歩き出すミルクボーイの気概を見せてくれているように感じる。

 

 話題があって旬の才能が商売につながるか、その基準は時間とともに色あせていく。だがプロが磨いたもの、積み重ねたものは色あせない。知ってもらわなければ存在するだけになる芸事が、周知になったとき、評価の基準は、若さや新鮮さ、見た目だけではなく、内容であるべきだ。

 そう思うと勇気が湧く。諦める必要もなくなる。もがいて戦っていけば、なんとかなる道は開ける。そうして挫折も自分の力不足と、認められるようになる。

 漫才師という荒野に歩き出すミルクボーイ。

 順風満帆な航路ばかりではないはずだ。だが軸足固めを始めている。そして、個人的に見習おうと思った。怠れば何も貯まらない。自分の才能に貯金がなければ、誰にも観てもらえないのである。

 

 目指すものがなく、挫折することもあるし、かなわない夢もあると思う。どんな道だって荒野だろう。確実なものがあるとすれば、自分が磨いたもの、積み重ねたものだけ。それだけが、成果になり得る。なければ何も生まれないことだけは確か。2019年のM-1王者の発信に、そんなことを思っていた。

「M-1グランプリ2018」〜あれれという違和感の中で起こった地殻変動と愛おしい時間〜

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 あれれ、なんだかお客さんが重いような・・。数年ぶりに最初から見始めた「M-1グランプリ2018」。今田さんと上戸さんが登場してから気づいて、見取り図さんの漫才が始まってからは確信になった。会場が重い。ついさっきまで、くまだまさしさんが前説やっていたとは思えないみたいなことを今田さんがワザワザ言ってしまっているのも気になった。M-1のお客さんって、もっと暖かかったはず、それも拾って笑うのか、と思うほど過激に暖かかった印象さえある。
 審査員は緊張しているが、笑いにつなげるのも忘れてない。オール巨人さんが緊張について語っている。審査員のメンバーには違和感なかったが、何故か、席順が気になった。サンド富澤さんと、中川家の礼二さん、入れ替え、みたいな。富澤さんご本人も席順について語っているのも当然に思えた(上沼さん、松本さんの横、という意味だが)。実はその入れ替えについては、最終決戦でコンビ名の名前が並んだ時の落胆につながっていた。早めに理由を書くべきところだから書くと、霜降り明星さんが、圧勝しているかの印象を与え、早々に結果を出してしまったということだ。
 普通に見てたら気にならないけど、第一回から数年間は年末の楽しみとして欠かさず観て、腹を抱えて笑っていた感触があるから、拭えない違和感があった。

 演者の実力や緊張の有無とは違う次元で、会場は重かった。何か事故でもあった?でも、この番組を支える人たちはそんじょそこらの事故なら、フォローしきるはずだ。それに、最後の3組に残るコンビがきたら、会場の重さを爆笑に変えるに違いなかった。空気を変えるだけの熱量もこの番組ならではの醍醐味、楽しいにしようと思って見続ける。

 結局私は最後まで会場は重かったと思ってる。だからこそ、スーマラ田中さんのテッテレーが引き立った。実は松本人志さんのコメントがどのネタよりも面白いと感じてもいた。センスと間合い、適度なゆるみ。ギャロップさんをいじっている感じが、そう爆発力のある言葉じゃないのに、なんだか面白いのだ。トロフィーを観て、霜降りさんみたいという気づきを絶妙のタイミングで言ったのも。最後に泣きそうになったお人柄さえ、広い意味で面白い。

 というのも、違和感だと思う。
 松本さんと出場者と比べる暇がある見方なんてダメだ。

 漫才の頂上決戦じゃないじゃないか。
 お客さんいれてる会場があんなに重いからくる、へんな違和感がずっとある。

 逆に敗者復活の会場の方が、暖かかったと思うほどだ。話はそれるが、だからこそ、プラスマイナスさんとミキさんに投票が集中した。アキナさんの投票数でロコツな歓声があった。あそこの方が、演じる側もお客さんも出来上がっている。つまりは、決勝進出チケットをかけた戦いの場になったいたといえるのだ。二組が残ったとき、お笑いに純粋ばアホと、たくさんの人に愛される存在の力がきちんと評価され、今回は、後者が勝ったのだ。プラスマイナスさん、決勝でも観たかったが、兄弟ネタをしゃべくりでみせてくれたミキさんも本当楽しかったので、結果も丸く収まっていると思うのだ。

 そんな中で今回のM-1は、「この日一番おもしろいこと」という判断基準が揺らいだ大会であった気もしている。
 ひとつは、ミキさんが出てきたときに思った漫才以外の「魅力」。プラスマイナスさん推しの方さえ言うほど、彼らの漫才は忙しいのにしっかり仕上げていたし、見た目だけじゃない部分も大きいにも関わらず武器になっていた。同じようにトムブラウンさんは、爪痕残した以上に、ニコニコと笑ってくれていたし、チャンピオンの霜降りさんのせいやさんは可愛らしい。和牛さん、二人ならんでゾンビになっているところなんて、その姿で笑える。
 もひとつ。M-1向けのネタ、というのにこだわらないコンビが「なんとなく」増えてきている。逆に、自分たちの漫才がM-1でどれだけ笑いをとれるのかを試しているところもある。サンドさんやナイツさんはかつて、4分の中でどれだけネタを突っ込むかと思えるものをみせてくれて、それはそれでどれも面白く十分な笑いだったが、自分たちのペースを貫きとおした笑い飯さんとは違うものだった。
 最初に「魅力」という言葉をあげたが、自分たちの漫才を見せる「個性」をぶつけてくる漫才が増えたと感じた。それはとても喜ばしいことだ。じゃれあう遊びのような漫才を繰り広げたジャルジャルさんが最たるものだろう。逆に4分を意識した漫才で育ったのは、霜降りさんの方だなとさえ思った。
 この地殻変動は私にとってとても楽しいことだった。優勝しなくても売れたコンビはいっぱいいる。だからこの番組は広がればいいのだ。広がることで漫才はもっと面白くなる。ああ、楽しみだと。
 ほんとうに、楽しい時間だった。寧ろいとおしささえ覚える。みんなおめでとう、といいたいほどに。

 最後にどうしても記しておきたいことがある。最終決戦で残った3組について。
 「もしもう1回観るとしたら、どの組?」
 いわば、3回目が観れるならどの組を選ぶ?と問われたら、私は和牛さんかジャルジャルさんの方を観たい。逆に、霜降りさんは、来年でてきた新星や、隠れた猛者や、ミキさんあたりと、M-1、来年争ってほしいと思うのだ。来年も和牛さんは観れるなあ、と思うのは楽しみではあるけれどもね。


(追記)
楽しい時間をすごした2018年のM-1。なのに、ミソがついている。わからないことも多いが笑っては済ませられないことなので残念で仕方がない。

大杉漣さんへ。楽しい日々をありがとう、これからもよろしくです。

バイプレイヤーズ ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~ DVD BOX(5枚組)

 一番最近、大杉漣さんの声を聞いたのは、「ROOKIES (ルーキーズ) 」というドラマの校長先生の役だった。姿を観たのはよくわからないが、すぐ思いついたのは地獄大使のお姿だった。でも、役を固定なんかできない役者さんだ。

 

 何をやってもその役者さんだったり、その役者さんがいろんな役をやる感じだったり、逆に憑依しちゃうタイプの役者さんもいる。でも大杉さんはその中間のところだったと思う。「ああ、大杉漣さんだったのか、その役」とあとでしみじみ気づく。実は観ている最中もちょっと気づいているのだけど、役の印象の方が強くて隠れていたりする。それは、大杉漣さんが見事にその役を表現しているからで、だから「さすが大杉漣さん」になる。でも決して主役を食ってはいない。

 

 最近は大杉漣さん、ますます脇役をされていても単なる脇じゃない感じさえしてた。役じゃなくて、そのもの、そんな人。いい人の役も悪い人の役も同じく、そうなるべくしてそうなった人。役に説得力がある、という程度じゃない。その人なのだ。

 

 「バケモノの子」という細田守監督のアニメで、監督が声の出演をした役所広司さんに対して、「そのものがいた」という感じの表現をされていた記憶がある。それは役所広司さんというすごい俳優さんに対する言葉としてはとっても適切だと思うけど、ベクトル違いの同じ意味で大杉漣さんにも私ごときで恐縮だが、贈りたい。「バイブレイヤーズ」のセカンドシーズンで役所広司さんも出演されていると聞く。お二人の出演シーンをぜひ機会があれば観てみたいものだ。

 私が大好きな映画で「大誘拐」というのがある。いくつかの場面が浮かんでくる中、静かな場面なのに火花を散らすようにすごかった二人の俳優さんの共演を思い出した。北林谷栄さんと緒方拳さんである。物語のラストの方の大切な場面である。大杉さんはこれから、もっともっと、いろんな役者さんと喜怒哀楽あいまみえ、いろんな場面を見せてくれたはずだったのだ。才能のある若い俳優さんとの一騎打ち、役所さんや渡辺謙さん、中井貴一さん、香川照之さん、堺雅人さんと並び立つ姿は考えただけでも楽しくなる。

 

 いや、きっと、もう大杉さんはいろんな役者さんと共演してる。そしてこれからも出演した作品の中で気づくのだ。あの、すごい役は、大杉さんだったって。だから、その作品はとても面白かったのだって。

 

 ありがとうございました。そしてこれからもたくさんある出演作品で出会えることを楽しみにしています。

貴女に勝てる女性はそんなにいないから〜小泉今日子さんに託すあれこれ

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 私たちは既に、彼女に何かを託してきた。

 だから、その延長上で考えてもいいのではないか、と思うのである。

 小泉今日子さんのことである。

 その延長上とは、歌やコラムや映画やドラマで見た彼女に、私たちは自分と重ね合わせていろんなことを考えてきた。彼女と似た人生を歩む人も、彼女と似た人生の女性に関わった人も、全く縁のない人もいるものだと思ってる。避けられることもあれば、避けれないこともあるのだ。避ける努力を常にしていたいが、どうにもならないこともある。自分を偽って生きるのはやはりしんどい。

 

 小泉今日子さんが事務所から独立するニュースを聞いて、同時に聞いた妻子ある男性との恋愛についてどう受け止めたらいいかわからなくなった。それは、残りの人生をエンタテイメントの世界で自由に生きたいという声明文だけではなくなっていた。だから、単純に応援ができなくなったのだ。

 独立のニュースだけ聞いたとき、ブラット・ピットのプロデュース業のように成果をあげてくれたらいいなって思った。小泉今日子さんの作った映画が、成功を収めるのも素敵だなって。

www.oricon.co.jp

 

 それでも私は、エンタテイメントの世界で小泉今日子さんに何かを託し続けるだろうと思っている。だか、もうひとつ、託してみたいことがでてきた。

 

 貴女は弱い者を犠牲にして勝利を勝ちとろうとすることだけはしないで、と。主人公の女の子は普通の子。才色兼備で心根の優しい女性が自分の彼を奪おうとしてる、でも、彼は主人公が好き、そんなのは物語で見聞きすることの方が断然多い。好きになるのは「あばたもえくぼ」、居心地がいい方が、緊張するようにずっといい間柄もある。でも男性は「小泉今日子さんが好きって言ってきたらどう?」と冗談っぽくでも質問をされたらどう思うだろう。小泉今日子さんが相手と知ったら、奥さんや子供さんは、私を含め、どう考えるだろう。

 

 小泉今日子さんに勝てる女性はそんなにいない。あえてニュースの性質から女性というが、男性に置き換えてもいない。だから、これまで、たくさんのことをエンタテイメントの世界で彼女に託したように、独立以外のもうひとつのニュースについても、託してみたいのだ、彼女の対応に。

 

 だから今まで同じくまた、彼女に託すのだ。私に届く情報は恣意的で、嘘かもしれないが、間違っても、私たちを落胆させる情報にならないことを祈ってやまない。彼女ががんばっているから、わたしたちもがんばろうと思う人たちは、間違いなくたくさんいるのだから。

 

「101回めふ乃寄席」落語を愉しんできた!

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 「101回めふ乃寄席」に行ってきた。14時開演、当日受付で。でも空いてたわけじゃない。満員御礼。運が良かったかもである。

 会場の「めふの間」がある「ピピアめふ」は商業・住宅・公益施設とある通り、今日は1995年の阪神・淡路大震災に関わる写真展示をあった。

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   それに、2スクリーンの映画館「シネピピア」の待合にはズラッと映画ポスターが並び、書棚にはギッシリと映画関係の書籍が。写真撮ってきたけど、話が寄席からずれそうなので、ここで紹介は終わっておこう。

 

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 落語家さんご本人による「錣(しころ)打ち」で開場である。しころ打ち、調べたけど、見たままのしかわからなかった。賑やかで楽しい。

  14時ちょうどに始まって、桂白鹿さん、登場。4年目、桂文福さんの門下(師匠は別の方)でインドのトイレでのエピソードで会場が湧く。落語に慣れてない私も入りやすい喋り方をされていたが、題目「煮売屋」になると、落語家さんモードで登場人物の口調に変わる。煮売屋に置いてあるお酒は、むらさめ、じきさめ、とにかく、村でたら、すぐ冷めるお酒のみである。

 二人目は、明石の公園で「桂阿か枝さんて知ってますか」と聞かれたことのある、桂阿か枝さん。エピソードトークもかなり面白かったけど、その後、「蝦蟇の油」の油売り口上で、切れ味抜群の刀で紙を切る所作に唸ってしまった。そして酔っ払ってからのはちゃめちゃ口上に会場、笑いが大きくなる。

 三人目は、林家染左さん。手慣れたしゃべくりにすぐ巻き込まれる。朝の連続テレビ小説わろてんか」の落語指導をされてるとのこと。入場時にいただいたチラシに名前がちらほら、精力的に活動されてるようだ。江戸のお金の単位の説明がイントロであったから内容がわかりやすかった「人形買い」、しかも登場人物が多いのに内容もわかりやすい。満足満足。

 四人目、仲入り後に、林屋竹丸さん登場。創作落語広岡浅子奮闘記」。男勝りで、前向きで生き生きとした広岡浅子さんが笑いを交えて紹介される。朝の連続テレビ小説「あさが来た」にも出演経験ありの竹丸さん、ネタも細かく聞き応えある。笑わしてもらったけど、どちらかというとお話を聞いている気分の方が大きい。広岡浅子さん、詳しくないけど、落語の中で人々はとても生き生きとしてるから、浅子さんのような題材はぴったりと思えてた。

 

 1月恒例のお楽しみ抽選会では、奇妙なことが起こった。当日券を買ったとき、一人1枚のはずが、私には2枚重なってやってきた。すぐに1枚戻したのだけど、戻した方の1枚に書かれていた番号が、お楽しみ抽選会の当選番号になっていた。こういうことよくあるのだ。福引で強引に横入りされて、その人に特等が当たったり。もう、悔しいとか思わない。抽選会そのものも落語家さんたちの進行で、楽しませてもらったから十分なのである。

 

 落語はもともと、落語が詳しい人だけのものじゃないのだ。だから私も十分楽しかった。心がホコホコ、暖まった。

エイミー・アッカーさんにワクワク〜海外ドラマ「The Gifted」より

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 Amy Louise Acker、エイミー・アッカーさん。日本では「パーソン・オブ・インタレスト」のルート役で有名なアメリカの女優さんである。私が初めて観たのは「エンジェル」という作品で、デヴィット・ボレアナスさん主演だった。心を病んだ少女のような女性で、悲しい純愛の末に死に至り、人間ではないがとても強い存在になってしまう。細身で繊細な印象だが、とても存在感のある演技をする美しい女優さんである。

 そして今、「The Gifted」で再会したエイミー・アッカーさんは、ミュータントの子供を抱えたおかあさんである。ルートのときの、ぶっとび姉ちゃんを封印して、看護師さんの知識をもった家族を愛する女性の役柄。意志の強さはちゃんと伝わる。バレエやダンスで培った身のこなしの美しさも少し封印。暴走する子供を常識で叱りつけたりする。常識が通じないルートとは似ても似つかない。

 

 とはいえ、「The Gifted」を観てると、エイミー・アッカーさんが何かやらかさないか考えちゃうのだ。何かに乗っ取られるなんて筋は嫌だな。本来の力を隠しているぐらいじゃなきゃ。神々しさか破茶滅茶か。あ、っと驚く新展開に、彼女が大きく関わることを願ってやまないのだ。

 

 まだ見始めたばかりだからこそ、エイミー・アッカーさんへの期待を記しておくべきだと思った。そして、打切りの悲劇に合わず、無事作品が終了したあかつきには・・。

 やっぱり、エイミー・アッカーさんはこうでなくっちゃ、と言いたいのである。