「ぼくらの」 〜勇気にかえるための、濃縮された生命の歴史
まだ幼い子供たちが、戦うたびに散っていく、毎回毎回の辛く切ない物語は、何もかも解決した最終回につながっていく。
理由もわからず、アニメのヒーローのように戦い散っていった最初の子供から、葛藤して戦い葛藤しながら逃げ出し、諦観し、意義を見つけ、生きたことに何かを残そうとする子供たち。濃縮された子供たちの命が煌めき、散っていく。
戦いと、生と死と。
彼らが子供であるから、毎回の物語は辛く切ない。
だが、人類の歴史は地球の歴史の中では短く、人間の寿命よりも短い動物たちの命もある。吸血鬼の物語をみれば、ときどき見た目が同じでも遥かに年上であるというエピソードがはさまれる。子供であるということは、物語の目くらませ、見るべきは、生命の歴史なのである。
愛と友情と、憎しみと怯えと、苦しみ、悲しみ。
とある戦いは、別の星で。同じ条件をつきつけられて、突然現れたロボットと戦うのは、同じく、買っても負けても散る定めの子供が操縦するロボット。負ければ、星ごとなくなるという条件も同じ。
生き残ることは、さまざまな偶然の積み重なり。
ジアーズ。最後の子供は、自分の死のあとも続く未来を見据えていた。
賢く、ひっとびに大人になった少年は、諦めずそして、相手に敬意を払い戦っていた。
最終回は生き残った星のはじまりの物語。滅びを免れて日々生きている時間は、誰かの生命の歴史の途上にいる。
小さな子供へ伝えられるのは、兄が命がけで戦った物語。その物語が伝えられたことで、いつのまにかいなくなった兄が、彼らが生きるための勇気に変わる。
ぼくらの。
子供のものがたりではない。わたしたちのものがたりでもある。