水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

「ALONE アローン」〜手探りでどうやって生きるのか。

ALONE [DVD]

 

一面の砂砂砂。

地雷が埋まっているのはわかっていても、

どこに埋まっているかはわからない。

先を後ろ向きに歩いていた相棒は、足を吹きとばされた。のちに彼は死んで、ひとりぼっちになった兵士は、片足を、固定したまま動けなくなっていた。カシャ。地雷を踏んだ音。体重を預けている限りは吹っ飛ばないが、歩き出せば吹っ飛ぶ。

 

いや、かもしれない、だ。

空き缶を使った手作りの地雷は、必ずしも爆発するとは限らないということを兵士は知っている。生死を奪う条件は、地雷だけではなく、砂嵐、温度差、狼、飢え、脱水。それと、敵。生き残るには過酷な条件だが、命とは、奇跡のように条件が燃える灯火。兵士が学んだ生き残る方法でも、アメリカは誰も見殺しにしない、という言葉ではなく、砂嵐を見つけ、姿勢を低くし、可能な限り体を固定させ耐えたから生き残ることができた。だが、そうやったから生き残ったわけではない。砂嵐を見つけて呆然をたちつくていたら、巻き込まれて、吹き飛ばされたかもしれないが、万全の準備をしても生き残れたとは限らない。

 

誰かを何かを頼るという方法がなくなった世界では、地雷を踏んだ足をどうするか、という命題は、自分が自分できめて行動するということにつながる。

立ち止まるのか、進むのか。

やがて、立ち止まっていることは猶予と気付き、踏み出さないといけなくなる。

いつ、どこで、どんな風にと、決めないといけなくなる。

 

砂漠で地雷を踏んだ兵士は、誰もたよれない状況になったときの自分に重ねられる。正しいとか正しくないとか、そんな物差しではない、決断する前に正解を教えてもらえないから、常に、頭に不正解のブザーが聞こえている。相棒だった兵士のように足を吹き飛ばされ、生きる力がなくなってしまう可能性も。

助けはない。ヒントもない。手がかりもない。

自分で何かを決めるのは、本当に手探り。責任も自分で。

イムリミットはない。時間もない。

砂嵐、温度差、狼、飢え、脱水。それと、敵。地雷とは違う危険もある。

 

手探りだ。自分で、前に進むのは手探り。放棄することも可能。ジエンドへの逃走か、もがくのか、もがいた先のトンネルの果てを夢見るのか。

 

兵士はベルベル人の男と会話しながら、踏み出すことを決めた。その結果は映画でも語られるが、結果よりもこの映画は、ひとりで手探りでどうやって生きるのかの思考サンプルであることの方が、大きい。避けて通れない決めなければならないこと。大袈裟ではないのだ。人ごとでもない。