水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

ペンタブお描き、はじめました。〜まだまだ習作、壁にぶちあたりまくり

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 去年の買い物納めは、ペンタブレット。今年のチャレンジ初めもペンタブレットである。広告見てると、簡単に描けそうだけど、簡単に描けないのはわかってて手を出した。案の定、画面を見ながら絵を描くことから馴染めない。

 

 試し書きをなんどかやって、やっとアップできた走る女性のイラストは、パブリックドメイン画像の模写。森林はフリー画像。アレンジいろいろ。デザイン業の引き出しから取捨選択して工夫してみる。

 

 線を描くことから壁にあたり、線の太さ細さ、絵の具の量、筆の入り抜き、まだまだ自由にならない。けど、走る女性を描いているあたりから、画面を見て描けるようになってきていることい気づく。何もかも少しづつ慣れていけるもんなんだ。Adobe Photoshopと似た画面もありがたい。まずは、良い線を描ける用意なりたいなあ。

 

 描くたびに出来ることが増えてきて、出来ない部分も増えてくる。悔しいことだらけだけど、楽しい。

 

 

「42 ~世界を変えた男~」ハリソンフォードの熱い闘いにうっとりした。

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 ハリソンフォードは、ドジャースの重役ブランチ・リッキー氏を演じている。特殊メイクをしてたらしいほどの変身っぷり。ワンマンでじい様な経営者である。ほとんどの場面は自分のお部屋で重役椅子に座ってる。部下はいつも立ちんぼだ。

  タイトルロールの背番号を持つ役柄に比べると脇役。でも、私にはかっこよくて仕方なかった。だが、まず主人公の紹介をしておこう。

 黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを演じるチャドウィック・ボーズマンは、現役の選手となんら変わらない才能あふれる野球選手を演じてくれた、と私は思った。映画の主人公になるような英雄的な選手ではなく、時代と葛藤しても、時代を切り開き、時代の先をいく英雄を演じてはいない。当たり前だ、彼は他のチームメイト、対戦相手となんら変わらない、野球選手なのだ。1野球選手。だからこそ、社会が歪んでることがわかる。ナイスプレイ!と言いたくなる演技だった。

 

 さて、話をハリソンフォードに戻そう。経営者として成功したから重役にいる。金儲けができる男である。しかも、時代を先取りできる男である。ジャッキーを見つけ出す臭覚も。さすが、ハリソンフォードが演じるだけある。見かけはかっこいいことないのに、やってることはホントかっこいいのだ。

 

 この映画観ながら何度も考えた。当時の黒人選手を雇うことこそ、本当に苦難の道。外からも内からも、苦情を言われる。それらのああだこうだを、ハリソンフォードは怒涛の勢いで退けまくり、当の本人、短気でいつ問題起こすかわからないジャッキーを丹念にそして考えるいとまを与えず、導きまくった。まさに疾風怒濤。

 ただのワンマンじゃない。観客のこともみてるのだ。金儲けの才があるから、ジャッキーで儲けられるのもみてる。ピッチャーを威嚇する盗塁、そして黒人の少年たちの英雄となることも。おそらく、初の黒人メジャーリーガーを作り出すことの一番のメリットさえわかっていただろう。

 さすがハリソンフォード。そんなことばかり思っていた。失敗したら大損害のビジネスを成功させるべく邁進してた。彼がいなければ、ジャッキーはいなかった。そう思うほどに。

 

 ハリソンフォードの熱い闘いにうっとりしながら、映画でも触れられていた、ブランチ・リッチー氏がなぜジャッキーを迎え入れたかにつながるエピソードが一番私を熱くした。だからまるで恩返しのように、黒人選手をスターにしたのだ。

 

リッキーが黒人選手を受け入れることに積極的であった理由としては、ブルックリンにおける黒人の人口の多さや将来的な黒人家庭の中産化を見越した上でのマーケティング戦略と、より効率的な選手の供給源の開拓のためであった。また、個人としても大学野球の監督時代に指導していた黒人選手が宿泊を断られ、自分の召使であると言ってようやく同じ部屋で泊まることができたという人種差別行為を体験しており、「この肌が白ければみんなと同じように泊めてもらえるのに」と涙を流して悲しむ選手姿が忘れられずにいたと語っているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ブランチ・リッキー

 

 個人の力で、社会を簡単に変えられるもんじゃない。でも、日本選手も含め、メジャーリーグには普通に、才能ある選手が集まって野球してる。歪んだ社会が紆余曲折しながらも良くなったのだ。ハリソンフォードクラスが演じるブランチ・リッチー氏だからこそできたかもしれないが、世の中は悪くなるばかりじゃないのだと、思わせてくれる映画だった。

 

 

 

 

毎度恒例、お参りしたら「おみくじ」をやる!

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今週のお題「ゲン担ぎ」

 

 1月4日くらいだったかな、今年は、あまり出歩かなくなった父を車に乗せて、地元の神社に初詣。久しぶりだから四方八方をみて、父は思い出を語ってた。秋祭りの賑やかな土地柄、私もだんじりを思い出す。そして、お参りのあとは、半ば嫌がる父を無理やり並ばせておみくじである。六角形の箱をジャラジャラ回して細い棒を出す。番号がでてくる。その番号を窓口でいえば、細長い紙がもらえる。大吉とか小吉とか。

 私もやる。おもいっきりジャラジャラする。

 父はさらっと読んで、きちんと折ってくくりつけてた。もう終わったぞ、という顔をして待っているようだった。

 

 お参りしておみくじ引いて、くくりつけて。

 そんな短い時間の正月のお祝い事で気持ちが上がってくる。これから1年が始まる。何をやるわけじゃないけど、さぁ、いくぞ。スタートラインに立つまでだって、道がある。

 

 実は今年、父との初詣以前にも、おみくじやってた。

 3回目・・4回目かな。

 旅先で、自宅近くで、機会があったらお参り、おみくじ。まず自分のを見て、旦那のをみて、お互いに、「我慢みくじ」「戒めみくじ」と内容解説。「我慢みくじ」は大吉などに多く、これまでつらくても、もうすこし我慢したら、よくなります。「戒めみくじ」は今までよかったけど、信心しないと、ダメになるよ。勝手に解釈して、くくりつけてくる。「いいことあるかな」「油断しないでいこね」などなど言いながら。気持ちが上がってくる。

 

 お参りにすがるわけじゃない。おみくじに頼るわけじゃない。実際、今年もいろんなことが起こるけど、お参りのこと忘れてると思うのだ。

 でも毎年、正月は、機会があったらお参りしてる。おみくじ引いてる。正月の間にやれるだけやっとく。

 

 なんだってやれるだけやっとくのだ。やれるだけやったってのがいちばんのゲン担ぎ。そして1年のスタートラインにたつ。やれるだけやっといた方が気持ちいい。

 

 おまけに、1月は、えべっさんにも行ってきた。お参りして、おみくじ引く。ちゃんとくくりつけてきた。

 

 

 

「彼女」のことを考えるべきだ〜ニュースの中の人物描写

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 女流という言葉が残っているほど、その職業はまだ女性の数が少ない、という話を聞いたばかりである。広岡浅子さんの活躍を語る落語家さんは自ら、「我々の職業はまだ」と女性の落語家さんを女流という言葉でくくっていると言っていた。真っ先に浮かんだのは、看護師さん。必ずしも女性だけじゃない職業である。

 

 東スポさんの1月26日の記事から。パワハラ、セクハラのニュースである。同じ内容のニュースはテレビでも何度も聞いた。

 同誌によると、番組の打ち上げの2次会で、10人ほどがいたカラオケ付き飲食店で、登坂アナの両脇には新人の女性契約キャスターが座った。席についた途端に女性のヒザを触り始め、反対側の女性の太ももも触ったうえ、一人の20代女性に「一緒に抜け出さない?」とささやき、女性がトイレに逃げると、登坂アナはトイレ前の廊下まで追い、暴挙に出たという。

 知名度のあるアナウンサーのニュースである。報道番組のキャスターになるはずだった。業界でも有名だったらしい。アメリカでも報道されたらしい。

 

 なんだか悔しくなってくる。

 

 「彼女」のことは?

 

 個人情報としての彼女じゃない。弱い立場にいるから被害にあうたくさんの「彼女」のことだ。それはもちろん「彼」も含む。さまざまな報道の中にいるたくさんの「彼女(彼)」は、自分が納得できない力に逆らえない状況にいて、サイレントマジョリティに囲まれて、被害にあっているのである。

 

 引用したニュースの中にも、彼女の人物描写がある。その人物描写は、彼女の個性の一つでもあるが、彼女が被害にあった理由でもある。彼女が職業を決めたのも、その場にいたのも、自分の意志ではあるだろう。だが、彼女は、弱い立場だからセクハラパワハラを受ける可能性がある、という文面にハンコを押したわけじゃない。もともと、書いてあるわけでもない。知っていたとしても、誰も書かない、そんなことは。

 

 大きなニュースが報道されるとする。その中で一番大きな役割をした人が主語となり、その人が何をしたか、が語られる。それはそれで当然のことだ。だが、その他の人物は、年齢や職業形態、雇用形態、性別だけでほんの数文字で終わる。仕方ない、とはわかっていても、人物はそんなことだけで表現されるものではない。ともすれば、無視してはいけない問題だって孕んでる。

 

 犯罪に関わる小説を読むとき、利用されるのは、いつも「縁者」のいない者である。それは立場が弱く、誰にも気にされないからという理由なのである。

 

 

gendai.ismedia.jp

「101回めふ乃寄席」落語を愉しんできた!

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 「101回めふ乃寄席」に行ってきた。14時開演、当日受付で。でも空いてたわけじゃない。満員御礼。運が良かったかもである。

 会場の「めふの間」がある「ピピアめふ」は商業・住宅・公益施設とある通り、今日は1995年の阪神・淡路大震災に関わる写真展示をあった。

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   それに、2スクリーンの映画館「シネピピア」の待合にはズラッと映画ポスターが並び、書棚にはギッシリと映画関係の書籍が。写真撮ってきたけど、話が寄席からずれそうなので、ここで紹介は終わっておこう。

 

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 落語家さんご本人による「錣(しころ)打ち」で開場である。しころ打ち、調べたけど、見たままのしかわからなかった。賑やかで楽しい。

  14時ちょうどに始まって、桂白鹿さん、登場。4年目、桂文福さんの門下(師匠は別の方)でインドのトイレでのエピソードで会場が湧く。落語に慣れてない私も入りやすい喋り方をされていたが、題目「煮売屋」になると、落語家さんモードで登場人物の口調に変わる。煮売屋に置いてあるお酒は、むらさめ、じきさめ、とにかく、村でたら、すぐ冷めるお酒のみである。

 二人目は、明石の公園で「桂阿か枝さんて知ってますか」と聞かれたことのある、桂阿か枝さん。エピソードトークもかなり面白かったけど、その後、「蝦蟇の油」の油売り口上で、切れ味抜群の刀で紙を切る所作に唸ってしまった。そして酔っ払ってからのはちゃめちゃ口上に会場、笑いが大きくなる。

 三人目は、林家染左さん。手慣れたしゃべくりにすぐ巻き込まれる。朝の連続テレビ小説わろてんか」の落語指導をされてるとのこと。入場時にいただいたチラシに名前がちらほら、精力的に活動されてるようだ。江戸のお金の単位の説明がイントロであったから内容がわかりやすかった「人形買い」、しかも登場人物が多いのに内容もわかりやすい。満足満足。

 四人目、仲入り後に、林屋竹丸さん登場。創作落語広岡浅子奮闘記」。男勝りで、前向きで生き生きとした広岡浅子さんが笑いを交えて紹介される。朝の連続テレビ小説「あさが来た」にも出演経験ありの竹丸さん、ネタも細かく聞き応えある。笑わしてもらったけど、どちらかというとお話を聞いている気分の方が大きい。広岡浅子さん、詳しくないけど、落語の中で人々はとても生き生きとしてるから、浅子さんのような題材はぴったりと思えてた。

 

 1月恒例のお楽しみ抽選会では、奇妙なことが起こった。当日券を買ったとき、一人1枚のはずが、私には2枚重なってやってきた。すぐに1枚戻したのだけど、戻した方の1枚に書かれていた番号が、お楽しみ抽選会の当選番号になっていた。こういうことよくあるのだ。福引で強引に横入りされて、その人に特等が当たったり。もう、悔しいとか思わない。抽選会そのものも落語家さんたちの進行で、楽しませてもらったから十分なのである。

 

 落語はもともと、落語が詳しい人だけのものじゃないのだ。だから私も十分楽しかった。心がホコホコ、暖まった。

高騰した野菜の、その後の展開

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 鍋の季節である。でもなかなか土鍋が出せない。というのは、材料を買えないからだ。白菜、大根が特に。

 2018年1月27日土曜日のNHK、関西のニュースより。大阪の中央卸売市場の情報である。

 

特に深刻なのが葉物野菜です。

 ▼九州や和歌山産などのダイコンが1キロあたりで去年の2.5倍の186円、▼四国や九州産などのレタスが1.9倍の380円、▼兵庫や愛知産などのキャベツが1.8倍の175円、▼四国や九州産などのハクサイが1.7倍の169円となっています。

 

 

 当然、台風や低温のためなのは理解してる。でもあんなに高値がついてたら手が出なくなる。そしてふと、売れてるのかな、と心配になる。

 頭に浮かぶのは、売れ残って「半額」シールが貼られた野菜だ。ちょっと萎れた葉物野菜がやっと買いやすくなる。または、高騰のときほど、半分の野菜、4分の1の野菜が増える。それでやっと買いやすくなる。

 

 野菜ナビからを見てると白菜の収穫量は、茨城県が26.38%、長野県が24.85%。3位の北海道が3.35%になる。農林水産省のデータを参照にしてるとある。細かい数字はともかくも、白菜の産地は二つの県で50%以上。レタスも長野茨城が多い。小松菜は埼玉茨城福岡。キャベツは愛知群馬(茨城も上位)。高い野菜を見繕って調べたら、産地が似てる気がしてきた。ということは、そこが打撃うけたら、もう、その年はあかんというわけだ。

 

 高騰しやすい野菜を新鮮な状態が安くすれたらビジネスになると考える人が当然いるだろうと思う。産地偽造も後をたたない。どんな野菜も1年中出回ってはいるから、もっと技術が進化するかもしれない、が、それはそれで、たぶんに怖い。クローン野菜とかね。

 

 前に読んだ本で、外国が日本の美味しい米や農作物を買ってる話があったのを思い出す。その国は飢餓を前提に対策を練っていて、日本の野菜で世界を牛耳ろうとしてたような。たぶん、小説だな。でも、本当にありそうな気もする。世界中で砂漠化は進んでいるし化石燃料ははいつかなくなるし、当然あると思っているものは有限なのである。

 

 対策を考えるべきか。でもその対策はあらぬ方向へ進みかねない。人間の口にいれるものだ、まちがった方向にすすんだら、空恐ろしいことになる。

 萎れた野菜が半額になる程度じゃないのである。

 

転ばぬように歩こう。〜雪が降ったアスファルトの道で

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 この町で雪が降るのは珍しい。

 22時を回って降り立った最寄駅、アーチ状の橋が歩きにくい。ゆっくり小さく歩こうかと思ったが、かかとからつま先へ重心移動しながらいつも通り歩くことにした。結構、普通に進む。自転車を押して進む人とすれちがう。

 転ばないで家に帰ろう。

 転んだって平気だ。でも、転ばないように歩けば、普段通り家でくつろげる。でも転んだらお風呂だって入りにくい。下手に転んだら骨が折れるかもしれない。転ぶと転ばないで大違いだ。

 スマホで、おそらく家の方に「雪が降って歩きにくい」と説明してるのが耳に入る。スマホに気をとられて、転ばないでね、と思った。道ゆく人にも転ばないでね、と思った。転んだっていいけど、転ばないように歩くことはできるから。いつもより少し気を使って、地面を意識して歩けばいい。

 途中のコンビニにある公衆電話で、帰りが23時半になるそうな連れ合いに電話をかける。電話の理由は転ばないでねと伝えること。1秒の油断で転ぶかもしれないのだ。

 

 そういえば、初めて入る温泉では、表示に段差があると書いていても油断してよろけてしまうことがある。周りに迷惑かけて謝って、「今日はこのお風呂初めて」と言い訳したりして。油断大敵。

 

 この町に雪が降るんだから、たくさんの人が凍った道を歩いているはずだ。

 みなさん、転ばないでください、と祈る。

 そうして私はなんとか転ばず家路に着いたのである。