水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

他愛はないけど、その日は過去と未来がごちゃまぜだった。

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 いつもと同じように仕事してたら、ずっと前に返事しっぱなしの案件がいきなり戻ってきた。その案件は、最近仕事場から去った人が、私につなげてくれたもので、とてもややこしい案件でもあった。

 その案件をどうやったらクリアできるか。

 新しい人を探すしかないと思った。去った人が残したもので新しい展開か、と思いながらメールを即刻いれた。はじめまして。そしたら、返事がきた。だが、誤送信かなと思われる意味不明な一文が。ついでにその方のフェイスブックにいく。小学生くらいのお子さんと並んでた。

 そんなこんなで、今日の仕事の一番の難問は、いままでと違う新しい展開をした馴染みの案件だ。学術的でとても難しいものを、ビジュアルにする。手がかりは見つけたがやってみないとわからない。念のために、詳しい人からも話を聞く手配をした。もちろん、提案できるように十分準備して。

 

 日付が変わったけど、他愛のない1日。でも去っていた人が新しい人をつなげて、旧知のものが新しい展開をする、そんな1日だった。

戦争の根回し〜アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』

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 戦争は突然起こる、という話を聞いたのは動画で観た「TED」の講演。ジャーナリストさんがご自分の体験を語っていたように思う。いつものようにショッピングをしていた大通りに、突然、轟音をたて、戦車がやってきた。日常はプツッと切れて、戦時下に早変わり。恋人や家族、友達が楽しく歩いていた道に武器を持った兵士が現れ、今まで、と、これから、に明確な境界線が引かれる。

 

 今日たまたま、昔買った雑誌(なんと「通販生活」)に挿絵付きで『戦争プロパガンダ10の法則』が載っているページにぶち当たった。目的は別にあったのにそんなこと忘れて夢中で読んでた。絵だけじゃなくて、心に響くように言葉も少しリライトしてあった。後述で本当の本文も載ってたけど、どちらも同じくらい考えさせられた。

 

(1)「われわれは戦争をしたくはない」
(2)「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
(3)「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
(4)「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
(5)「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
(6)「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
(7)「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
(8)「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
(9)「われわれの大義は神聖なものである」
(10)「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 

 ひとつひとつが、というわけではない。改めて、考えなきゃと思った。戦争は、始まってしまった時点で、日常はなくなる。始まる前と始まってからは大きく違うのだ。そして始めるためには、始めたい人が、綿密に日常の中で準備し始めている。

 『戦争プロパガンダ10の法則』は、戦争はしたくない、に始まって、(戦争はしたくないと考える者は)裏切り者で終わっているのである。

 

 

ロシアとの緊張関係が高まっているスウェーデンが、戦争を含む有事の対応マニュアルを記したパンフレットを約470万の全世帯に配布する準備をしていることがわかった。複数の海外メディアが報じた。5月に発行される見込みだ。

スウェーデン 、戦争への備えを国民に呼びかけ 高まるロシアとの緊張関係

The Huffington Post Japan,

 

エイミー・アッカーさんにワクワク〜海外ドラマ「The Gifted」より

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 Amy Louise Acker、エイミー・アッカーさん。日本では「パーソン・オブ・インタレスト」のルート役で有名なアメリカの女優さんである。私が初めて観たのは「エンジェル」という作品で、デヴィット・ボレアナスさん主演だった。心を病んだ少女のような女性で、悲しい純愛の末に死に至り、人間ではないがとても強い存在になってしまう。細身で繊細な印象だが、とても存在感のある演技をする美しい女優さんである。

 そして今、「The Gifted」で再会したエイミー・アッカーさんは、ミュータントの子供を抱えたおかあさんである。ルートのときの、ぶっとび姉ちゃんを封印して、看護師さんの知識をもった家族を愛する女性の役柄。意志の強さはちゃんと伝わる。バレエやダンスで培った身のこなしの美しさも少し封印。暴走する子供を常識で叱りつけたりする。常識が通じないルートとは似ても似つかない。

 

 とはいえ、「The Gifted」を観てると、エイミー・アッカーさんが何かやらかさないか考えちゃうのだ。何かに乗っ取られるなんて筋は嫌だな。本来の力を隠しているぐらいじゃなきゃ。神々しさか破茶滅茶か。あ、っと驚く新展開に、彼女が大きく関わることを願ってやまないのだ。

 

 まだ見始めたばかりだからこそ、エイミー・アッカーさんへの期待を記しておくべきだと思った。そして、打切りの悲劇に合わず、無事作品が終了したあかつきには・・。

 やっぱり、エイミー・アッカーさんはこうでなくっちゃ、と言いたいのである。

生きる望み〜脳の進化は可能らしい

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 脳は生まれてから思春期くらいで完成して、後は神経細胞が脱落していく。良くないタンパク質とかがくっついてダメになるらしいんだけど、ともかく、加齢による現象は避けようがないと考えるしかない。

 脳は謎だらけ。でも、最近はいろんな研究者が、脳はあながちダメになっていくだけじゃないと解明しつつある印象を受ける。

 脳の断面図をたくさん撮ったお医者さんの話は、楽器や将棋や他にいろいろ楽しいことした方の脳は育っているという。

 私が調べて解釈した限りだけど、神経細胞が脱落しても細胞から伸びるシナプスが多ければ情報は補完されると思うのだ。記憶は単独じゃなく、つながっている。赤い、りんご、くだもの、みかん、ビタミン、健康、などなど、と。だから、楽器や将棋なんかは、関連してつくりあげていくものだから自然と脳が発達するんじゃないかなって。

 ちなみに、脳は1割しか使ってないも都市伝説。神経細胞以外のグリア細胞にもちゃんと役割があることがわかってきている。

 

 前向きに楽しいことを探す。その成果が脳の研究の中に見出されてきたような気がする。

 

 

 

「大阪くらしの今昔館」〜かわらないもののすみか〜

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大阪くらしの今昔館」に行ってきた。

 大坂の町がすっぽり再現された屋内の展示である。人が多くて私はカメラで撮影をしまくってて本当なら観光気分になってもいいのに、実はタイムスリップを味わってた。つまりはこの時代の息吹が感じられるような展示になっている。

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 中国語、ハングルの言葉が飛び交い、英語も含め展示会場内は他多国籍仕様。着物が着れるイベントがあるせいか、和服の方も多い。そんななかでも日本語は聞こえてくる。昔自分の家がこんな感じだった、と。そう、私も少しだけ知っていると思ってた。子供の頃、というよりは、親戚の古い家という記憶。木目や地面、水の通り道、畳や干された洗濯物、時代は違えども、ここには私たちとかわらない普通の人がいたはずなのである。

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  そういえば、エレベーター前やチケット売り場でも行列になっていて、そのときはスマホで待ち時間を潰す方が多かった。だが展示の中に足を踏み入れたら、スマホは撮影のためだけになっていた。展示を観る、と、同時に、この時代を散歩しているようにも見えたのだ。

 観るべきものも多い。せっかくとってきた写真だから、後は観たものをアップしておこうと思う。

 

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勇気をくれるおばあちゃん〜小説「平成猿蟹合戦図」から

 

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 まるで実在の人物のように、しばしば勇気をくれるおばあちゃんがいる。

 小説「平成猿蟹合戦図」に出てくるサワおばあちゃんだ。調べたら96歳ってある。小説は群像劇で、登場人物はそれは魅力的なのだけど、サワさんは特別なのだ。

 年下(もちろんご高齢)で車椅子で移動する男性の話を聞いて、彼女は言うのだ。自分の周りのものを支えにしながらなら、立つことはできる、と。机・椅子・箪笥・棚・テーブルなどなど。一旦、車椅子にのれば、どんどん立てなくなる。だから彼女は、自分の力で最大限できることを探して立ち上がる。思い出しても涙が出てきた。よっこいしょとでも言いながら、ゆっくり立ち上がっている姿が浮かぶ。

  私だって、立ち上がるのもしんどくなることがある。そんなときサワさんが出てくる。励ますのでも叱るのでもなく、ただ、立ち上がり方を見せてくれる。しっかりしたものを視覚で確認して、体を預けられるかを感じて、体重移動して立ち上がる。ゆっくりでいい。よっこいしょっと言っていい。私は、同じように、やってみるだけ。

  一人でいるときは、意識が過去と現在を行ったり来たりしてる。その描写のすばらしさは、作者の吉田修一さんの技量だと思う。どうやってサワさんを生み出したのだろうかと考えをめぐらしてしまったりした。そして、私はちゃんと、サワさんが小説の登場人物だと知っているのだと気づく。なのに、サワさんが実在の人物のように勇気をくれる。

  サワさんは親切そうでにこやかな政治家に嫌悪感を示し、何も中身を示さないのに人なつっこさだけが武器の若い候補者には親近感を示す。そこに理由なんてない。きっとサワさんがすごいのは、理由なんてないことなのだ。理由の中にある、理想も目的意識も打算も生活観念も、もうなんもかも、ないもんだから残ってるのはサワさんだけ。だからサワさんがサワさんの人生を決めてる。

 

 理屈はよそう。ただ思い出せばいい。易きに流されず自分にできることを考えて立ち上がる姿を。

 

 

社会派小説の実写化ルート〜虚構を通してみえる現実

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「悪貨」というドラマを観ている。最終回のあらすじを知りつつ。原作は島田雅彦氏。及川光博さんと黒木メイサさんに、なんとなくお気に入りの林遣都さん、なぜだかお気に入りの高橋克実さん。偏ったキャスト紹介である。

 全てを背負わされてしまうミッチーの悲劇っぷりを楽しむのだが、本当のところ何がいいたいかっていうと、日本銀行の株を持っている大物の犯罪を日本が裁けないっていう悪循環なのである。だから犯罪やり放題。でも誰かが罪を償わないと犯罪にけじめをつけられないから、日本の警察はミッチーを追い込むのである。

 エンターテイメントの中に日本の構造をうつしだす社会派の小説がWOWOWでよく実写化される。濃厚な小説が多いから全てが映像化されるわけではないが、実力派の役者の参加も多く、素晴らしい作品に仕上がっている。

 テレビドラマより一足先にみた「下町ロケット」「空飛ぶタイヤ」。原作も読んだ「震える舌」。もともと現実の一部から生まれ、虚構の要素を含みながら小説になり、再び虚構であるドラマになる。だが、人が演じることで共感をよび、その作品がもともと現実から生まれたことに気づかされる人が少しでも増えることを願いたいと思うのだ。

 「悪貨」という作品でも1万円札をばらまくミッチーに普通の人々が群がる姿が映し出されていた。そして考える。もし、私があそこにいたら、どんな顔をするだろうかと。