お金のやりくり、他でなんとかするの「闇」
消費税がアップするときに、それを利用した不正に関しては摘発するようなことをニュースで言っていたのを今も覚えている。そして、やっと、ニュースがでてきた。
国内に100店舗以上を展開する「スーパーホテル」(大阪市西区)が、消費増税後に業務委託料などの増税分を支払わない「買いたたき」をしていたとして、公正取引委員会は22日、消費税転嫁対策特別措置法に基づき不払い分の支払いと再発防止を勧告した。 公取委によると、同社は2014年4月の消費増税後、計約100の事業者に対し、支配人業務や顧問業務の委託料などの増税分計約6500万円を支払っていなかった。うち約510万円は既に支払い、残りも近く支払う意向を示している。 スーパーホテルは「勧告を真摯(しんし)に受け止め、是正していく」とコメントした。
支出があれば、他でなんとかする。この節約志向にも闇がある。
さっき私も仕事で、似たようなことを考えた。そして黙っていることに決める。できるだけ良心的に誠意をもって、関係のないところに影響を与えないように気をつかいながら。でも、損は他でなんとかしないとどこかでかぶることになる。
お金の数字は最初の設定による。でも、その設定からでたマイナスはどこでかぶるのか。仕事は発注先から下へ下へと流れる。どこで止める?止めた上で、費用をきっちり含めた金額を設定するのは賢いことか、それとも価格を下げる努力をし続けてやばい風潮を助長するだけは悪なのか。
ささやかながらもビジネスの金勘定をする身としては、損も得もあいまいにして、動き続けるしかない。
そして、消費者として買い物をするとき、1円でも安いところを考え、その価格がはじきだされるにあたり、誰が儲け、誰が泣いているかを、気づきながらも、見て見ぬふりをしているのだ。「闇」だな、これは。
グロさを笑う、そして鑑賞する。
海外ドラマの「ハンニバル」鑑賞中。なんとも形容しがたい死体が出てくる。観るのを憚れるような死体である。それは死体を切り刻むことに躊躇しない犯人が、まるで芸術のようにオブジェを作る。観るものはもちろん、その以上さに拒否反応を示すのだが、吐くほどその造形は黒くなく、むしろ、美しくさえ見えてくる。
そうだ、ドラマの中の犯人は死体を死体以上のものとしてオブジェを作るのだから、物語の作り手である、実際にそのオブジェを作っているスタッフたちは、その犯人の美意識に叶うものを作っているはずなのである。
普通の美意識なら許されざるもの。だが、犯人にその意識はない。
という、造形を作るスタッフが作り出すのだから、それはもちろん死体ではない原材料で均整の取れたオブジェとなる。
同時に思い出すのは「死霊のはらわたリターンズ」という海外ドラマ。血しぶきが売りのホラーものは、大量の血しぶきが定番になり、思わず、そのやり過ぎ感に笑みが溢れる。だからこそ、コメディ要素のあるホラーになっているのだ。もちろん、グロい造形のオンパレードなのだが。
グロさに対する反応は一つではないのだ。それは人が機械でない証拠の一つとも言えると思う。
色彩レシピ〜色のセンスとはいいますが色って科学だと思ってる
色はそもそも波長だと思って考えると色付けはラクである。
無数にある絵の具のようなものだと考えると色付けは途端に雲をつかむようになる。
専門的ではないです。言葉足らず、ご容赦を。
基本は、光の三原色。赤、緑、青。つまり、R、G、B。赤色系の紙面に同系色以外で合わせるには、緑、青になる。青が嫌なら緑、緑が嫌なら青。
逆に赤っぽいのが嫌なら青を足す。これはC、M、Y、K。つまり光の三原色のRは、マゼンタとイエローから出来ている。だから、赤に使われない色、シアンを足すと赤から遠ざかるのである。緑っぽいのならマゼンタ、青っぽいのならイエロー。
この応用で、赤は赤でもよりピンクに見えるようにするには、マゼンタとイエローのマゼンタの割合を多いめに。オレンジに見えるようにするなら、イエローの割合を多い目に。青は、シアンとマゼンタの割合の違いで青紫と赤紫になる。緑は緑と黄緑になる。
2色の混合である光の三原色だが、色料は減色混合なので混ぜれば混ぜるほど濁る。だがこの濁りは、渋い色を作り出す。Rは、マゼンタとイエローから出来ているがそこにシアンを少量混ぜればエンジになる。割合を変えれば、ワインレッドになる。金色に近い黄土色は、イエローに、シアンとマゼンタを少量混ぜる。シアンとマゼンタの割合で黄土色は多彩に表現できる。
つまりは、色相環のまあるい輪を思い出せばいい。または可視光線のグラデーション。色は常にあの図の中にある。
デザインの職についたら、的確に迅速に色を見極めなくてはならないが、センスがよくて回転のはやいクライアントなら、デザイナーなんていらないくらい色のイメージを持ってるものだと最近思うようにしている。基本、色は科学なのだ。
だが紙面構成をしながら色を考えたり、テーマを絞ったり、お客様の意向を組んだりそれらが出来てこそお金をもらえる職業にデザイナーはなるのだと常に、思っておきたいと思う。
横っ面ひっぱたく気なんだ、元首相は。〜原発ゼロ運動
小泉純一郎元首相が、細川護煕元首相の東京都知事選挙でタッグを組んていたのは記憶に新しい。その選挙は、桝添氏が当選し、私的な金銭問題で辞職するという結果だった。だが落選したはずの元首相側はなおも気炎を吐いている。細川氏のHPには、原発0に向けた取り組みが掲載されているし、その上に、一挙手一投足が大きな注目を集める小泉氏は、トモダチ作戦における被爆者の基金設立に向けて動き出した。
小泉元首相が基金設立〜トモダチ作戦で被ばく兵士支援 - YouTube
私の、このニュースの第一印象は「横っ面ひっぱたく気なんだ、この元首相は」、だった。勝手な想像なんだけど、日本国内で何やっても動かず、耳目を集めた東京都知事選でも分厚い様々な壁に阻まれ、ついに、アメリカや世界を巻き込むつもりかも知れないなあ、と。
今現在で、東京電力とトモダチ作戦に従事し被爆した方々との裁判は係争中とのこと、これはお役所が動かない大きな理由になっている。
体制はカッチカッチで、少数の力で何やっても動かないと思われがちだ。ほころびが出そうなら、大急ぎで繕うシステムがあるのだろう。だが、元首相は、正面からではなく、別のルートから切り崩す道を選んだ。正攻法で通じないのなら、守りが薄い方へ。注目度は低いかもしれないが、見過ごすわけにはいかないというところへ誘導しようとしている。一手でも早く手を打ち、偽善ではなく、本気だと示そうと時期を見極めてようとしている気がする。
続きを読む
励ます側の言い分
昨日、励ます側にいた。
客観的に言葉を探そうと努め、それでも熱くなり、熱くなりすぎないように気持ちを冷まそうに心がける。心に響きそうな論理を探す。
励まされる側の方が切羽詰まっているイメージもあるが、ここで励ましておかないとズルズル泥沼に陥る可能性があるから、励ましたのが本音だ。
スポーツの試合において、監督やコーチがタイムをとり、選手にアドバイスをするのも似たようなものだろうか。選手はプレイに精一杯で全体が見えていない。相手チームも含め試合全体を俯瞰できる位置にいるコーチは勝機を見いだし、それを、選手に伝え、最後に、それが実現可能であるように話しているはずだ。
励ます側も励まされる側も、成功するかどうかはわからない。
だが、励ます側は、このままだと試合に負ける可能がが高くなると判断して選手たちを励ますのである。
選手よりも先に、敗者になる予感を感じ、そうならないように手を打つために。
励ます側は励まされるよりも余裕に見えるかも知れない。だが、なんとか軌道修正ができないかと、思案し、言葉を選ぶ。
この国は、いくつかの大きな震災に見舞われ、台風の被害も少なくない。そのうち一つは、直接的ではなくても、間近に感じたものでもある。
励ますことしか出来ないときもある。だが、励ますのもまた、力の一つのハズだ。
味ごはん天国
味ごはん、とは、かやくごはんのことである。
かやくごはんのかやく、とは「加薬」ということで、野菜、きのこ、肉、練り物、こんにゃく、が、細かく刻まれ入っている。見た目は似たような感じだが、人参が、彩り程度だったり、1本まるっと入っている日もある。ごぼうやレンコンといった根菜類中心だったり、さつまいもが入ったりといったり、100円ほどの水煮の豆が入ることも。
白だしベースの和風味のときは、ひじきが定番
コンソメ、ブイヨンの洋風味のときは、コンソメ、ブイヨンベース。
時にはカレー風味。カニかまぼこをほぐしていれてかに風味。たこ入れてたこ飯風。たこは、たこ入り天ぷら(練り物)で代用も。しょうがをチューブから適量、ごま油多い目、洋風味なら、ハーブや、オリーブオイル。バターを少し入れていたことも。
具材の多い少ない、調味料の多い少ないで、同じものは二度と無い。
もっと言えば、同じ人参でも、甘さが違う。料理することが出来ず、古くなった具材もあれば、買ってすぐ料理できて、しかも、新鮮な具材の場合も味は違う。
なんとも無限大。
最近は時間短縮バージョンで、具材を少し減らすことも。ただ、出来上がってみると、そんなに普通と遜色ないほど、具材たっぷりなことも。手際がよくなって来ているかも知れない。そして、新しい味がまた生まれたのかも知れないと思う。
味ごはんの味は、いつも何か違う。同じように、毎日もいつも何か違うのだ。
あのときのように倹約する生き方
モノの価格設定というのは、価値が認められるものならば買えるではないか、というものにされていることが多い。
あと100円。
それで100円以上の価値があるなら100円だすことは損ではない。まるで、消費者のためにあるような価格設定なのだが、100円の出費が一定の期間内で1万回あれば、100万円の売上なのである。
実家暮らしではあったが、昼の事務職で月収8万円の中から夜間の大学の授業料や教材費やらの費用を捻出し、もちろん、ある程度の日常生活で出費し、しかも、夢でもあった中国旅行へ行くためのお金を貯めながら生活していた頃があった。大学の授業料は、昼の大学よりは格段に安かったが、余裕のある生活ができたはずはない。ただ、ひとつ、言い添えておくと、家庭の事情よりも自分に課したところが大きくはあった。それでも、使える知恵は使いまくって、なおも、ユースホステルと周遊切符を使って格安旅行もしていた(それが可能でもあった)。大学の連中も、似たようなものだったし、大学のある町もそれを受け入れてくれていた。思い出せば、楽しかった、という記憶がある。
続きを読む