水がある限り金魚は泳ぐ

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「ウルフ・オブ ウォール・ストリート」〜良いも悪いも人生には結果が伴う。

ウルフ・オブ・ウォールストリート(吹替版)

 

 この作品の大きな特長は3時間あることだと思う。

 ジョーダン・ベルフォードには、セールスという特技がもともとあったんだと思う。それをブラックマンデーとマシューマコノヒー(ブローカーの先輩役・ゲスト出演っぽい)に見事に捻じ曲げられ、一直線に教えに従って生きたように思う。最初の部下、ドニーに麻薬を教えられたのもきっかけ。彼にとって麻薬は、頭を働かせるためのもので、ポパイにとってのほうれん草になっていた。

 フローチャートのように、人生が描かれる。店頭株から、社員教育とイメージ戦略をあてて、ウォール街へ。登りつめてFBIに目をつけられ、妥協せずにやりつくして収監される。きちんとジョーダンの人生をつなげないといけないから、上映時間も自ずと増えてくる。そして彼の人生の選択のひとつひとつに、結果が伴い、良くも悪くも彼に還ってきていた。見事な演出で、見飽きないコメディタッチ。

 起承転結をきっちり描けば3時間はいらない。だがめぐりめぐって彼はまたベクトルを変えたセールスの商売を始める。気弱な目をしたセールスセミナーの受講生たちの中から、第2、第3のジョーダン・ベルフォードが育っていくのだろう。マシュー・マコノヒーがレオ様に授けた、ブローカーのあり方は受け継がれ、この金で動く世界の物語は3時間では足りなくなる。選択して、実践して、結果が伴う。無限ループのようでもある。

 映画としては長い3時間。映画は時間のマジックで、途中経過は、省略される。けれどこの映画は映画の技法で省略を感じさせず、描き切る。

 

 ジョーダンをうまっすぐ追い詰めたFBI捜査官は、買収しようとしてきたジョーダンを思い出して地下鉄でため息をつく。でも私は、ため息は必要ないと思うのだ。

 良いも悪いも人生には結果が伴う。折れないことが大事なのだ。

 

 

 

 

「エイリアンVS.プレデター」 〜人類ではない生き物たちの定義

エイリアンVS.プレデター (吹替版)

  

 映画には人類以外の生物がよく出てくる。その人類以外を創造したのが、人類だったりする。だから映画の中にでてくる人類以外の生き物もまた人類の一側面じゃないだろうか、と思ったりする。

 卵からでてきた、カブトガニのやわらかいのが、人の顔にはりついて栄養にし、腹をくいやぶってでてくる有名なシーン。または、プレデターが戦うことのできないもの、または武器のないもの、病気のものを素通りして戦闘に向かうシーン。どれも、人類が似たようなことをやってきて、映画は、その一部分を引き延ばしてこねくりまわして、エンターテイメントにしてくれてる。

 人類でない生き物を創造できる人類はすごいと、よく思うのだ、この分野の映画をみると。もともと、スタートレックが好きな理由のひとつでもあるけれど、この作品とスタトレを一緒にする気はない。

 プレデターとエイリアンとの戦いでは、プレデターを応援している自分がいた。エイリアンの行動は人間の本能にもあると、なんとなく考えながらも、理解できない、理解したくない生物を考えてたら、当然、狩り、というプレデターの方が応援しやすい。しかし、人間を狩るというエピソードの映画も観たことがある気がする。10秒やるから、森に逃がされ、狩人が馬を駆る。SFではない作品で。つまりはそう、教科書には載っていない歴史なのだろう。

 

 閉鎖された極寒の地で、人々が惨殺されているどこかで見た場面だが、そこにオリジナリティを求める気がさらさらなく、やっぱりこの設定は面白い、と楽しんでしまった。古代の武器を持って帰ろうとしたり、一人で行動したり、嘘つきだったりする人物をみると、アカン、死亡フラグや、とツッコミいれるのもまた一興。どこかで観たシーンにも、観る側をぐいぐい引っ張ってくれるから全然OK、と妙な納得しながら観てた。

 

 吹き替えでみたのだが、ヒロイン、声かっこいい。さすがの本田貴子さん。そういえば、少し前にみた、「マイティ・ソー バトルロイヤル」でも天海祐希さんが素敵だった。さて、続編も見ようかな。

大杉漣さんへ。楽しい日々をありがとう、これからもよろしくです。

バイプレイヤーズ ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~ DVD BOX(5枚組)

 一番最近、大杉漣さんの声を聞いたのは、「ROOKIES (ルーキーズ) 」というドラマの校長先生の役だった。姿を観たのはよくわからないが、すぐ思いついたのは地獄大使のお姿だった。でも、役を固定なんかできない役者さんだ。

 

 何をやってもその役者さんだったり、その役者さんがいろんな役をやる感じだったり、逆に憑依しちゃうタイプの役者さんもいる。でも大杉さんはその中間のところだったと思う。「ああ、大杉漣さんだったのか、その役」とあとでしみじみ気づく。実は観ている最中もちょっと気づいているのだけど、役の印象の方が強くて隠れていたりする。それは、大杉漣さんが見事にその役を表現しているからで、だから「さすが大杉漣さん」になる。でも決して主役を食ってはいない。

 

 最近は大杉漣さん、ますます脇役をされていても単なる脇じゃない感じさえしてた。役じゃなくて、そのもの、そんな人。いい人の役も悪い人の役も同じく、そうなるべくしてそうなった人。役に説得力がある、という程度じゃない。その人なのだ。

 

 「バケモノの子」という細田守監督のアニメで、監督が声の出演をした役所広司さんに対して、「そのものがいた」という感じの表現をされていた記憶がある。それは役所広司さんというすごい俳優さんに対する言葉としてはとっても適切だと思うけど、ベクトル違いの同じ意味で大杉漣さんにも私ごときで恐縮だが、贈りたい。「バイブレイヤーズ」のセカンドシーズンで役所広司さんも出演されていると聞く。お二人の出演シーンをぜひ機会があれば観てみたいものだ。

 私が大好きな映画で「大誘拐」というのがある。いくつかの場面が浮かんでくる中、静かな場面なのに火花を散らすようにすごかった二人の俳優さんの共演を思い出した。北林谷栄さんと緒方拳さんである。物語のラストの方の大切な場面である。大杉さんはこれから、もっともっと、いろんな役者さんと喜怒哀楽あいまみえ、いろんな場面を見せてくれたはずだったのだ。才能のある若い俳優さんとの一騎打ち、役所さんや渡辺謙さん、中井貴一さん、香川照之さん、堺雅人さんと並び立つ姿は考えただけでも楽しくなる。

 

 いや、きっと、もう大杉さんはいろんな役者さんと共演してる。そしてこれからも出演した作品の中で気づくのだ。あの、すごい役は、大杉さんだったって。だから、その作品はとても面白かったのだって。

 

 ありがとうございました。そしてこれからもたくさんある出演作品で出会えることを楽しみにしています。

映画「羊の木」アンバランスこそ、人間

映画「羊の木」オリジナル・サウンドトラック

 殺人を犯して服役していた6人が漁村に転入してきた。主人公は、錦戸亮さん演じる月末くん。市役所職員。登場人物が多いのに無駄のない流れ方、転入者の性格がかいまみれる端的なセリフ。前半は、「演出のうまさ」を強烈に感じてしまった。人を不安にさせる場面展開、間合い、その他もろもろ。映画を外側から観まくってしまっていた。

 

 けど、決して冷めて観たわけではない。

 役者が皆、うまいから、出会ってはいけない人がどのように結びつくか、どのように破滅するのかずっと丁寧に追うことができた。登場人物は救われた人と救われなかった人に分かれる。そして救われた人は、ほんとうに日常的な滲み出る人柄ゆえに、他者の信頼を勝ち取り、自分の居場所を得ていく。

 その信頼を勝ち取ったシーンがこの映画のみどころであり、心温まる場面である。

 私の感情は確かに動いた。感動して心がほっこりした。

 逆に松田龍平さん演じる宮腰さんは、にこやかで親しみのある外見とは裏腹に歪んだ愛情表現で月末くんを振り回す。

 宮腰さんは、何度か月末くんに「それは友達としてか、市役所職員としてか」と問いただしていた。月末くんの答えは、「友達として」。いくらかの社交辞令はあったとしてもクライマックスではちゃんと、友達として接していた。

  

 中盤以降、月末くんと接する、宮腰さんの感情の動きを追っていた。神様に生死を委ねたのは、月末くんのことがとても好きだからだ。それも月末くんと同じ青春を歩みたかったほどに。だが、月末くんは決して、彼を受け入れない。

 

 しかし、実は途中で、私は大きな疑問に苛まれてしまっていた。

 

 月末くんと宮腰さんのクライマックスは、ある新聞記事がきっかけである。だが個人情報が取り沙汰されるこの時代に、あそこまで顔がはっきりした写真が載っていいものだろうか。あれは、おかしい。

 北村一輝さん演じる杉山さんが写真好きなのも不自然に思えてくる。彼はまるで物語をかき回すためだけに存在しているようである。

 悲劇はきっかけがあることで引き起こされる。わざわざきっかけをつくっているようにも見えてくる。

 

 それでもね、私は月末くんが最後まで宮腰さんの友達だったことも、6人のうちのひとり、優香さん演じる太田さんがお父さんと恋愛していることも、心のどこかでひっかかりながらも受け入れられる人柄であったことで、納得してしまえるのだ。

 全部全部、ひっくるめて月末くんは飲み込んでくれている。

 ただそういう月末くんだから、宮腰さんは信頼したのだろうけど。

 

 罪を犯した人々である。だが、立ち直ろうとしている人々もいる。

 甘く優しい言葉だけが、親切ではない。等価交換のサービスも親切ではない。何もいわなくても滲み出る唯一無二のものを、わかろうとする日々が人の生活。そんな大きなテーマを木村文乃さん演じる文さんが、言っていた。

 

 宮腰さんが一番くっきりと見せたのはアンバランスさ。ソフトな人柄と月末くんへの友情と殺人の衝動。そこまで極端じゃなくても、みんなそれぞれ持っているアンバランスさ。

 

 殺人を犯して服役していた人を迎え入れるプロジェクトの設定が生かされてない部分も多いが、人の心のアンバランスさを表現するには、この上もなくわかりやすい設定だったかもしれない。

 

 

 

 

 

「超高速!参勤交代リターンズ」時代劇の楽しさ、ギュギュッと濃縮!

超高速!参勤交代 リターンズ

 原作も読んだ!1作目も観た!そしてリターンズ、2作目だ!

 超高速の参勤交代っていう、この映画の見所はちょっぴり薄まったけど代わりにぎっしり詰まっていたのは時代劇の楽しさである。

 

敵味方と言えど剣に生きる者同士は熱い!

寺脇康文さんと渡辺裕之さん、敵味方なのだけど刀を交えた途端に友情芽生えてた。しかも温泉で裸のつきあい、その上、しっかり演出されたタイマン勝負。

 

とことんやる気の殿様についていく主従の絆

佐々木蔵之介の殿様は一人でいくからみんなは生きろといい、高速参勤交代を一緒に走った仲間のような家来さんは、何を言うかとついていく。陣内孝則さんと尾張柳生の連合軍の前に湯長谷藩の面々が並ぶ。一騎当千の戦いに胸踊る。

 

正義は勝つのだ大岡越前!結構真面目に古田新太さん!

将軍吉宗が絶大な信頼を寄せる大岡越前古田新太さんはずっっしりと演じてた。だって勧善懲悪の善の方のパート担当、一緒に行動する上地雄輔さんも軽い芝居は全くしてない。燦然と輝く陣内孝則さんの悪役に立ち向かう。絶妙の配役。

 

女性陣は薙刀で戦う!そこにキリリと富田靖子さん!

勇ましい女性が薙刀を振るう姿もまた、時代劇の醍醐味。夫は寺脇康文さん。剣豪の嫁さんは富田靖子さん。出番少ないけど活路を開く重要な役。

 

村人も殿様も奥方もみんな田んぼで集うのだ。

原作でも書かれていた子守をする殿様。みんな殿様が大好き。陰謀の合間にある和やかでほっこりする光景もまた時代劇のアイテムである。美人の奥方、深田恭子さんも。

 

「将軍暗殺」の陰謀が織り込まれてる

一応って感じですが、陣内さんの目標はそこにあった。なのに、罪が軽いのは続編への布石?さらに大きな陰謀があるのか?

 

霧隠段蔵さん、今回は活躍少なめだけど相変わらずいい感じ

原作では本当に万能だった段蔵さん、伊原剛志さん。いつもカッコよく草を口にくわえてる。小さい子供とさっていく姿も時代劇的展開だと勝手にこじつけて観てた。

 

 

ちゃんと書けたかな、時代劇の要素。かなり偏っている気もするけど、楽しく楽しく観れた品でした。湯長谷藩のキャラクターもみなさん、お見事、監督は本木克英さん!ありがとう!って気持ちでお名前最後にあげとく!

 

 

 

 

「42 ~世界を変えた男~」ハリソンフォードの熱い闘いにうっとりした。

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 ハリソンフォードは、ドジャースの重役ブランチ・リッキー氏を演じている。特殊メイクをしてたらしいほどの変身っぷり。ワンマンでじい様な経営者である。ほとんどの場面は自分のお部屋で重役椅子に座ってる。部下はいつも立ちんぼだ。

  タイトルロールの背番号を持つ役柄に比べると脇役。でも、私にはかっこよくて仕方なかった。だが、まず主人公の紹介をしておこう。

 黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを演じるチャドウィック・ボーズマンは、現役の選手となんら変わらない才能あふれる野球選手を演じてくれた、と私は思った。映画の主人公になるような英雄的な選手ではなく、時代と葛藤しても、時代を切り開き、時代の先をいく英雄を演じてはいない。当たり前だ、彼は他のチームメイト、対戦相手となんら変わらない、野球選手なのだ。1野球選手。だからこそ、社会が歪んでることがわかる。ナイスプレイ!と言いたくなる演技だった。

 

 さて、話をハリソンフォードに戻そう。経営者として成功したから重役にいる。金儲けができる男である。しかも、時代を先取りできる男である。ジャッキーを見つけ出す臭覚も。さすが、ハリソンフォードが演じるだけある。見かけはかっこいいことないのに、やってることはホントかっこいいのだ。

 

 この映画観ながら何度も考えた。当時の黒人選手を雇うことこそ、本当に苦難の道。外からも内からも、苦情を言われる。それらのああだこうだを、ハリソンフォードは怒涛の勢いで退けまくり、当の本人、短気でいつ問題起こすかわからないジャッキーを丹念にそして考えるいとまを与えず、導きまくった。まさに疾風怒濤。

 ただのワンマンじゃない。観客のこともみてるのだ。金儲けの才があるから、ジャッキーで儲けられるのもみてる。ピッチャーを威嚇する盗塁、そして黒人の少年たちの英雄となることも。おそらく、初の黒人メジャーリーガーを作り出すことの一番のメリットさえわかっていただろう。

 さすがハリソンフォード。そんなことばかり思っていた。失敗したら大損害のビジネスを成功させるべく邁進してた。彼がいなければ、ジャッキーはいなかった。そう思うほどに。

 

 ハリソンフォードの熱い闘いにうっとりしながら、映画でも触れられていた、ブランチ・リッチー氏がなぜジャッキーを迎え入れたかにつながるエピソードが一番私を熱くした。だからまるで恩返しのように、黒人選手をスターにしたのだ。

 

リッキーが黒人選手を受け入れることに積極的であった理由としては、ブルックリンにおける黒人の人口の多さや将来的な黒人家庭の中産化を見越した上でのマーケティング戦略と、より効率的な選手の供給源の開拓のためであった。また、個人としても大学野球の監督時代に指導していた黒人選手が宿泊を断られ、自分の召使であると言ってようやく同じ部屋で泊まることができたという人種差別行為を体験しており、「この肌が白ければみんなと同じように泊めてもらえるのに」と涙を流して悲しむ選手姿が忘れられずにいたと語っているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ブランチ・リッキー

 

 個人の力で、社会を簡単に変えられるもんじゃない。でも、日本選手も含め、メジャーリーグには普通に、才能ある選手が集まって野球してる。歪んだ社会が紆余曲折しながらも良くなったのだ。ハリソンフォードクラスが演じるブランチ・リッチー氏だからこそできたかもしれないが、世の中は悪くなるばかりじゃないのだと、思わせてくれる映画だった。

 

 

 

 

「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の鑑賞をしたんですけどね。

 「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の鑑賞をしたんですけどね。

 この場合「ですけどね」ってつけるところが個人的なこだわりだったりする。「おもしろかったんですけどね」「全然否定的じゃないんですけどね」。

 実写版の「進撃の巨人」の方は、「ですけどね」はいらないから、振り子が振り切れているわけだが、スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の方は「・・・」がついてしまう。

 

 だってね、続きはみたいわけっす。

 でもね。

 炭素冷凍されたハン・ソロの映像に衝撃を受け、次の公開いつなん?とたまらん気持ちになったほどじゃないかもーって。

 

 そそ、「スターウォーズ」はシンプルにオモシロイ映画の代名詞なのだと気づく。ファン層も広く、ハズレがなくて、好きな登場人物がそこそこ見つけられる、なんだかディズニー的な映画。今回ディズニーが40億ドルでルーカスフィルムを買収したと伝えられているけれど、スターウォーズ」は、もともと、ワクワクできて、雑談のネタにもできて、グッズも買えて、独自のこだわりをつくり堪能もできる、オモシロイ映画というジャンルのトップクラスだということだと思うのだ。

 

 2016 1月18日の「SMAP×SMAP」(スマスマ)は緊急生放送があった。SMAPさんは解散騒動をもってして、たくさんの人に影響を与えている芸能人の代名詞として認知されたと思う。歌手とか役者とかそういうカテゴリじゃないのだ。同じように、「スターウォーズ」はもはや代名詞なのだと「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を観て思い知らされた気がする。

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