水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

「大阪くらしの今昔館」〜かわらないもののすみか〜

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大阪くらしの今昔館」に行ってきた。

 大坂の町がすっぽり再現された屋内の展示である。人が多くて私はカメラで撮影をしまくってて本当なら観光気分になってもいいのに、実はタイムスリップを味わってた。つまりはこの時代の息吹が感じられるような展示になっている。

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 中国語、ハングルの言葉が飛び交い、英語も含め展示会場内は他多国籍仕様。着物が着れるイベントがあるせいか、和服の方も多い。そんななかでも日本語は聞こえてくる。昔自分の家がこんな感じだった、と。そう、私も少しだけ知っていると思ってた。子供の頃、というよりは、親戚の古い家という記憶。木目や地面、水の通り道、畳や干された洗濯物、時代は違えども、ここには私たちとかわらない普通の人がいたはずなのである。

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  そういえば、エレベーター前やチケット売り場でも行列になっていて、そのときはスマホで待ち時間を潰す方が多かった。だが展示の中に足を踏み入れたら、スマホは撮影のためだけになっていた。展示を観る、と、同時に、この時代を散歩しているようにも見えたのだ。

 観るべきものも多い。せっかくとってきた写真だから、後は観たものをアップしておこうと思う。

 

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勇気をくれるおばあちゃん〜小説「平成猿蟹合戦図」から

 

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 まるで実在の人物のように、しばしば勇気をくれるおばあちゃんがいる。

 小説「平成猿蟹合戦図」に出てくるサワおばあちゃんだ。調べたら96歳ってある。小説は群像劇で、登場人物はそれは魅力的なのだけど、サワさんは特別なのだ。

 年下(もちろんご高齢)で車椅子で移動する男性の話を聞いて、彼女は言うのだ。自分の周りのものを支えにしながらなら、立つことはできる、と。机・椅子・箪笥・棚・テーブルなどなど。一旦、車椅子にのれば、どんどん立てなくなる。だから彼女は、自分の力で最大限できることを探して立ち上がる。思い出しても涙が出てきた。よっこいしょとでも言いながら、ゆっくり立ち上がっている姿が浮かぶ。

  私だって、立ち上がるのもしんどくなることがある。そんなときサワさんが出てくる。励ますのでも叱るのでもなく、ただ、立ち上がり方を見せてくれる。しっかりしたものを視覚で確認して、体を預けられるかを感じて、体重移動して立ち上がる。ゆっくりでいい。よっこいしょっと言っていい。私は、同じように、やってみるだけ。

  一人でいるときは、意識が過去と現在を行ったり来たりしてる。その描写のすばらしさは、作者の吉田修一さんの技量だと思う。どうやってサワさんを生み出したのだろうかと考えをめぐらしてしまったりした。そして、私はちゃんと、サワさんが小説の登場人物だと知っているのだと気づく。なのに、サワさんが実在の人物のように勇気をくれる。

  サワさんは親切そうでにこやかな政治家に嫌悪感を示し、何も中身を示さないのに人なつっこさだけが武器の若い候補者には親近感を示す。そこに理由なんてない。きっとサワさんがすごいのは、理由なんてないことなのだ。理由の中にある、理想も目的意識も打算も生活観念も、もうなんもかも、ないもんだから残ってるのはサワさんだけ。だからサワさんがサワさんの人生を決めてる。

 

 理屈はよそう。ただ思い出せばいい。易きに流されず自分にできることを考えて立ち上がる姿を。

 

 

社会派小説の実写化ルート〜虚構を通してみえる現実

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「悪貨」というドラマを観ている。最終回のあらすじを知りつつ。原作は島田雅彦氏。及川光博さんと黒木メイサさんに、なんとなくお気に入りの林遣都さん、なぜだかお気に入りの高橋克実さん。偏ったキャスト紹介である。

 全てを背負わされてしまうミッチーの悲劇っぷりを楽しむのだが、本当のところ何がいいたいかっていうと、日本銀行の株を持っている大物の犯罪を日本が裁けないっていう悪循環なのである。だから犯罪やり放題。でも誰かが罪を償わないと犯罪にけじめをつけられないから、日本の警察はミッチーを追い込むのである。

 エンターテイメントの中に日本の構造をうつしだす社会派の小説がWOWOWでよく実写化される。濃厚な小説が多いから全てが映像化されるわけではないが、実力派の役者の参加も多く、素晴らしい作品に仕上がっている。

 テレビドラマより一足先にみた「下町ロケット」「空飛ぶタイヤ」。原作も読んだ「震える舌」。もともと現実の一部から生まれ、虚構の要素を含みながら小説になり、再び虚構であるドラマになる。だが、人が演じることで共感をよび、その作品がもともと現実から生まれたことに気づかされる人が少しでも増えることを願いたいと思うのだ。

 「悪貨」という作品でも1万円札をばらまくミッチーに普通の人々が群がる姿が映し出されていた。そして考える。もし、私があそこにいたら、どんな顔をするだろうかと。

 

お金のやりくり、他でなんとかするの「闇」

 消費税がアップするときに、それを利用した不正に関しては摘発するようなことをニュースで言っていたのを今も覚えている。そして、やっと、ニュースがでてきた。

スーパーホテルに勧告=消費増税分不払い

公取委2017年02月22日 17時45分 時事通信

 国内に100店舗以上を展開する「スーパーホテル」(大阪市西区)が、消費増税後に業務委託料などの増税分を支払わない「買いたたき」をしていたとして、公正取引委員会は22日、消費税転嫁対策特別措置法に基づき不払い分の支払いと再発防止を勧告した。 公取委によると、同社は2014年4月の消費増税後、計約100の事業者に対し、支配人業務や顧問業務の委託料などの増税分計約6500万円を支払っていなかった。うち約510万円は既に支払い、残りも近く支払う意向を示している。 スーパーホテルは「勧告を真摯(しんし)に受け止め、是正していく」とコメントした。  

 

 支出があれば、他でなんとかする。この節約志向にも闇がある。

 さっき私も仕事で、似たようなことを考えた。そして黙っていることに決める。できるだけ良心的に誠意をもって、関係のないところに影響を与えないように気をつかいながら。でも、損は他でなんとかしないとどこかでかぶることになる。

 

 お金の数字は最初の設定による。でも、その設定からでたマイナスはどこでかぶるのか。仕事は発注先から下へ下へと流れる。どこで止める?止めた上で、費用をきっちり含めた金額を設定するのは賢いことか、それとも価格を下げる努力をし続けてやばい風潮を助長するだけは悪なのか。

 

 ささやかながらもビジネスの金勘定をする身としては、損も得もあいまいにして、動き続けるしかない。

 

 そして、消費者として買い物をするとき、1円でも安いところを考え、その価格がはじきだされるにあたり、誰が儲け、誰が泣いているかを、気づきながらも、見て見ぬふりをしているのだ。「闇」だな、これは。

グロさを笑う、そして鑑賞する。

  海外ドラマの「ハンニバル」鑑賞中。なんとも形容しがたい死体が出てくる。観るのを憚れるような死体である。それは死体を切り刻むことに躊躇しない犯人が、まるで芸術のようにオブジェを作る。観るものはもちろん、その以上さに拒否反応を示すのだが、吐くほどその造形は黒くなく、むしろ、美しくさえ見えてくる。

 

 そうだ、ドラマの中の犯人は死体を死体以上のものとしてオブジェを作るのだから、物語の作り手である、実際にそのオブジェを作っているスタッフたちは、その犯人の美意識に叶うものを作っているはずなのである。

 

 普通の美意識なら許されざるもの。だが、犯人にその意識はない。

 

 という、造形を作るスタッフが作り出すのだから、それはもちろん死体ではない原材料で均整の取れたオブジェとなる。

 

 同時に思い出すのは「死霊のはらわたリターンズ」という海外ドラマ。血しぶきが売りのホラーものは、大量の血しぶきが定番になり、思わず、そのやり過ぎ感に笑みが溢れる。だからこそ、コメディ要素のあるホラーになっているのだ。もちろん、グロい造形のオンパレードなのだが。

 

 グロさに対する反応は一つではないのだ。それは人が機械でない証拠の一つとも言えると思う。

色彩レシピ〜色のセンスとはいいますが色って科学だと思ってる

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 色はそもそも波長だと思って考えると色付けはラクである。

 無数にある絵の具のようなものだと考えると色付けは途端に雲をつかむようになる。

 専門的ではないです。言葉足らず、ご容赦を。

 

 基本は、光の三原色。赤、緑、青。つまり、R、G、B。赤色系の紙面に同系色以外で合わせるには、緑、青になる。青が嫌なら緑、緑が嫌なら青。

 

 逆に赤っぽいのが嫌なら青を足す。これはC、M、Y、K。つまり光の三原色のRは、マゼンタとイエローから出来ている。だから、赤に使われない色、シアンを足すと赤から遠ざかるのである。緑っぽいのならマゼンタ、青っぽいのならイエロー。

 

 この応用で、赤は赤でもよりピンクに見えるようにするには、マゼンタとイエローのマゼンタの割合を多いめに。オレンジに見えるようにするなら、イエローの割合を多い目に。青は、シアンとマゼンタの割合の違いで青紫と赤紫になる。緑は緑と黄緑になる。

 

 2色の混合である光の三原色だが、色料は減色混合なので混ぜれば混ぜるほど濁る。だがこの濁りは、渋い色を作り出す。Rは、マゼンタとイエローから出来ているがそこにシアンを少量混ぜればエンジになる。割合を変えれば、ワインレッドになる。金色に近い黄土色は、イエローに、シアンとマゼンタを少量混ぜる。シアンとマゼンタの割合で黄土色は多彩に表現できる。

 

 つまりは、色相環のまあるい輪を思い出せばいい。または可視光線のグラデーション。色は常にあの図の中にある。

 

 デザインの職についたら、的確に迅速に色を見極めなくてはならないが、センスがよくて回転のはやいクライアントなら、デザイナーなんていらないくらい色のイメージを持ってるものだと最近思うようにしている。基本、色は科学なのだ。

 だが紙面構成をしながら色を考えたり、テーマを絞ったり、お客様の意向を組んだりそれらが出来てこそお金をもらえる職業にデザイナーはなるのだと常に、思っておきたいと思う。

 

 

横っ面ひっぱたく気なんだ、元首相は。〜原発ゼロ運動

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 小泉純一郎元首相が、細川護煕元首相の東京都知事選挙でタッグを組んていたのは記憶に新しい。その選挙は、桝添氏が当選し、私的な金銭問題で辞職するという結果だった。だが落選したはずの元首相側はなおも気炎を吐いている。細川氏のHPには、原発0に向けた取り組みが掲載されているし、その上に、一挙手一投足が大きな注目を集める小泉氏は、トモダチ作戦における被爆者の基金設立に向けて動き出した。

小泉元首相が基金設立〜トモダチ作戦で被ばく兵士支援 - YouTube

 私の、このニュースの第一印象は「横っ面ひっぱたく気なんだ、この元首相は」、だった。勝手な想像なんだけど、日本国内で何やっても動かず、耳目を集めた東京都知事選でも分厚い様々な壁に阻まれ、ついに、アメリカや世界を巻き込むつもりかも知れないなあ、と。

 今現在で、東京電力トモダチ作戦に従事し被爆した方々との裁判は係争中とのこと、これはお役所が動かない大きな理由になっている。

 

 体制はカッチカッチで、少数の力で何やっても動かないと思われがちだ。ほころびが出そうなら、大急ぎで繕うシステムがあるのだろう。だが、元首相は、正面からではなく、別のルートから切り崩す道を選んだ。正攻法で通じないのなら、守りが薄い方へ。注目度は低いかもしれないが、見過ごすわけにはいかないというところへ誘導しようとしている。一手でも早く手を打ち、偽善ではなく、本気だと示そうと時期を見極めてようとしている気がする。

 

小泉純一郎元首相が原発ゼロ運動を始めた理由 - ログミー

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