水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

不快感を覚えるという反応。

 冗談が冗談にならないときはある。映画や小説だと主人公が何を言っても後から「正しい見解」が説明され、時には感動さえ覚えることもあるのだけど、現実はそうはいかない。発言は「取り違える」ことがいくらでも出来るのだ。 しかも能動的に。

 弁護士という職業についている方の発言は説得力を持ち、一人歩きさえする。 

 酒の席の冗談だったら男同士の笑い話になっただろうに。

 橋下徹:「私の認識と見解」 日本語版全文 http://mainichi.jp/select/news/20130526mog00m010012000c.html

 耳に入ってくる話の中には、どうしても引っかかり、肯定できない単語やフレーズ、文脈があったりする。「ああ、不快だ」と私も人並みに思う。私程度が不快と思ったところで、大きな影響があるわけでもないが、世の中の流れにのっかった題材に「不快」の一票を「いいね」のように投じれば大きなムーブメントになることもある。

  だが「不快」だと思われないように発言に気をつけ、通り一遍の発言しか出来なければ言葉の力は極端に下がる。 

 個人の能力と体制と世論が複雑に絡まりあって言葉は感情を動かしている。