水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

正義か悪かの境界線で。

 「メンタリスト」@サイモン・ベーカー。主人公、パトリック・ジェーンは、皮肉屋は暴露屋で嘘つきだけど、結局のところ、言いたくないことは絶対言わない。そして、自分が大切に思う人のためなら、どんなブラックな所業も厭わない。自分だけが悪者になっても構わない。

 慈善家というククリがある。ビル・ゲイツやマドンナ、ジョン・ロックフェラーもそのククリにあるようだ。う〜む。

 映画を観ていると、政治家や実業家の奥方がまるで自分の仕事のように慈善団体に寄付をして、パーティなんかで演説したりなんかしてたりする。傍らで慈善される側の登場人物(映画的にはキレイな服を着てない子供をイメージ)「寄付してくれてありがとう」的なこと無言で言わされている場面があったりして。

 パトリック・ジェーンが涼しい顔をして、犯罪者を悪どい詐欺まがいなことで追いつめ側でヤキモキするのはリズボン捜査官は、詐欺まがいを決して許してないけど、ジェーンだけを悪者にすることは絶対ない!という姿勢で世の中に挑む。

 

 善悪の基準をはっきりつけてしまえば、汚い金で救われる子供は減り、犯罪の検挙率は下がり、その結果で命を落とす人も増える。だが、グレーゾーンをただ受け入れ許せば善悪のバランスは狂いかねない。

 

「メンタリスト」という作品の中には、善悪の雑妙のバランスがあるような気がする。