水がある限り金魚は泳ぐ

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「オードリー」ウォッチング

 テレビで初めて観る漫才コンビの話芸が始まる。おもしろいかおもしろくないか、瞬時に観る者は判断なんかしちゃう。顔を観るのか、声を観るのか、一発目は話芸そのものじゃなかったりする。そもそも漫才ってトータルな話芸なんだろうけどね。

 春日俊影氏がゆっくり登場して、若林正恭氏がマイクスタンドの前で冷ややかに待っている。M−1グランプリで初めてその登場シーンを観てから何年がたったか。彼らは「はやりもん」なのだろうか。本物の漫才師か、長く残るのか、いくつかのコンビのようにピンでの活動になっていくのか。何年後かが、楽しみになった。

 

 何年後かをつくるために(その通りにならなくとも)、準備を始めたりするもんだ。物語の伏線のようなものだな。吉本興業のタレントじゃないから先輩のテレビ番組から名前を売るというルートが少ない。そんな中で彼らは春日氏の倹約っぷりや熟女好き(後にフリだと判明)、若林氏の人見知り、歌下手、などの特徴を出してきた。やがて春日氏は海外ロケで性格の強さを武器にし、若林氏は性格の面倒なところを武器にしだした。人で勝負し始めた。

 彼らを観てると、人の財産は、「人」だとわかる。何でお金をもらってるか、という話を若林氏は、ラジオで語り辛い思いをして(本人談)春日氏をコテンパンにすることがある。コテンパンにしながら、春日氏に憧れると文字に残すのだ。春日氏はやはりマイペースで相手の負担を自然に取り除くような反応を天然でする。だからお金がもらえるのだ。そしてお金がもらえることは、これまでがあったからで、これまでがなかったら、ここまでもないのである。

 

 M−1グランプリで彼らをテレビで初めてみたとき若林氏の「どろだんご日記」を私は読んだ記憶がある。本番でトチッた春日氏を見事にフォローした若林氏は、あれはいつものこと、と書いていた。トチる春日氏も、春日氏のトチリをフォローする若林氏もその人が持つ財産の一つだったと思えるのである。