映画「羊の木」アンバランスこそ、人間
殺人を犯して服役していた6人が漁村に転入してきた。主人公は、錦戸亮さん演じる月末くん。市役所職員。登場人物が多いのに無駄のない流れ方、転入者の性格がかいまみれる端的なセリフ。前半は、「演出のうまさ」を強烈に感じてしまった。人を不安にさせる場面展開、間合い、その他もろもろ。映画を外側から観まくってしまっていた。
けど、決して冷めて観たわけではない。
役者が皆、うまいから、出会ってはいけない人がどのように結びつくか、どのように破滅するのかずっと丁寧に追うことができた。登場人物は救われた人と救われなかった人に分かれる。そして救われた人は、ほんとうに日常的な滲み出る人柄ゆえに、他者の信頼を勝ち取り、自分の居場所を得ていく。
その信頼を勝ち取ったシーンがこの映画のみどころであり、心温まる場面である。
私の感情は確かに動いた。感動して心がほっこりした。
逆に松田龍平さん演じる宮腰さんは、にこやかで親しみのある外見とは裏腹に歪んだ愛情表現で月末くんを振り回す。
宮腰さんは、何度か月末くんに「それは友達としてか、市役所職員としてか」と問いただしていた。月末くんの答えは、「友達として」。いくらかの社交辞令はあったとしてもクライマックスではちゃんと、友達として接していた。
中盤以降、月末くんと接する、宮腰さんの感情の動きを追っていた。神様に生死を委ねたのは、月末くんのことがとても好きだからだ。それも月末くんと同じ青春を歩みたかったほどに。だが、月末くんは決して、彼を受け入れない。
しかし、実は途中で、私は大きな疑問に苛まれてしまっていた。
月末くんと宮腰さんのクライマックスは、ある新聞記事がきっかけである。だが個人情報が取り沙汰されるこの時代に、あそこまで顔がはっきりした写真が載っていいものだろうか。あれは、おかしい。
北村一輝さん演じる杉山さんが写真好きなのも不自然に思えてくる。彼はまるで物語をかき回すためだけに存在しているようである。
悲劇はきっかけがあることで引き起こされる。わざわざきっかけをつくっているようにも見えてくる。
それでもね、私は月末くんが最後まで宮腰さんの友達だったことも、6人のうちのひとり、優香さん演じる太田さんがお父さんと恋愛していることも、心のどこかでひっかかりながらも受け入れられる人柄であったことで、納得してしまえるのだ。
全部全部、ひっくるめて月末くんは飲み込んでくれている。
ただそういう月末くんだから、宮腰さんは信頼したのだろうけど。
罪を犯した人々である。だが、立ち直ろうとしている人々もいる。
甘く優しい言葉だけが、親切ではない。等価交換のサービスも親切ではない。何もいわなくても滲み出る唯一無二のものを、わかろうとする日々が人の生活。そんな大きなテーマを木村文乃さん演じる文さんが、言っていた。
宮腰さんが一番くっきりと見せたのはアンバランスさ。ソフトな人柄と月末くんへの友情と殺人の衝動。そこまで極端じゃなくても、みんなそれぞれ持っているアンバランスさ。
殺人を犯して服役していた人を迎え入れるプロジェクトの設定が生かされてない部分も多いが、人の心のアンバランスさを表現するには、この上もなくわかりやすい設定だったかもしれない。