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「彼女」のことを考えるべきだ〜ニュースの中の人物描写

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 女流という言葉が残っているほど、その職業はまだ女性の数が少ない、という話を聞いたばかりである。広岡浅子さんの活躍を語る落語家さんは自ら、「我々の職業はまだ」と女性の落語家さんを女流という言葉でくくっていると言っていた。真っ先に浮かんだのは、看護師さん。必ずしも女性だけじゃない職業である。

 

 東スポさんの1月26日の記事から。パワハラ、セクハラのニュースである。同じ内容のニュースはテレビでも何度も聞いた。

 同誌によると、番組の打ち上げの2次会で、10人ほどがいたカラオケ付き飲食店で、登坂アナの両脇には新人の女性契約キャスターが座った。席についた途端に女性のヒザを触り始め、反対側の女性の太ももも触ったうえ、一人の20代女性に「一緒に抜け出さない?」とささやき、女性がトイレに逃げると、登坂アナはトイレ前の廊下まで追い、暴挙に出たという。

 知名度のあるアナウンサーのニュースである。報道番組のキャスターになるはずだった。業界でも有名だったらしい。アメリカでも報道されたらしい。

 

 なんだか悔しくなってくる。

 

 「彼女」のことは?

 

 個人情報としての彼女じゃない。弱い立場にいるから被害にあうたくさんの「彼女」のことだ。それはもちろん「彼」も含む。さまざまな報道の中にいるたくさんの「彼女(彼)」は、自分が納得できない力に逆らえない状況にいて、サイレントマジョリティに囲まれて、被害にあっているのである。

 

 引用したニュースの中にも、彼女の人物描写がある。その人物描写は、彼女の個性の一つでもあるが、彼女が被害にあった理由でもある。彼女が職業を決めたのも、その場にいたのも、自分の意志ではあるだろう。だが、彼女は、弱い立場だからセクハラパワハラを受ける可能性がある、という文面にハンコを押したわけじゃない。もともと、書いてあるわけでもない。知っていたとしても、誰も書かない、そんなことは。

 

 大きなニュースが報道されるとする。その中で一番大きな役割をした人が主語となり、その人が何をしたか、が語られる。それはそれで当然のことだ。だが、その他の人物は、年齢や職業形態、雇用形態、性別だけでほんの数文字で終わる。仕方ない、とはわかっていても、人物はそんなことだけで表現されるものではない。ともすれば、無視してはいけない問題だって孕んでる。

 

 犯罪に関わる小説を読むとき、利用されるのは、いつも「縁者」のいない者である。それは立場が弱く、誰にも気にされないからという理由なのである。

 

 

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