水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

「詭弁」と「政治」と「ゴリ押し」と「好感度」。

  2014年の2月9日に投開票となる東京都知事選。争点は大きく3つ。「都政」「オリンピック」そして「原発」も絡んでいた。さっそく、この3つのどれが重要か、街頭インタビューやら、討論の話題になっている。

 

 これね、「原発」がなかったら、「都政」「オリンピック」の成功はないかもよーん、っていう論理をゴリ押しするための、詭弁に聞こえてくるんだよなー。

 

 お金があっても、常勝チームはつくれない。これはプロ野球とかでもよく聞く話。ブラビさん主演映画の「マネーボール」。結構面白い作品である。そんな話題はゴロゴロ転がっている。

 

 どんな論理も大きな声でゴリゴリゴリ押しされると、どーも、弱気になってしまいがち。弱気になる自分を許してしまい、正当化してしまうのは、いいんだよね、別に。ゴリ押しの相手すんのは、疲れるし。詭弁でも、メリットがあり収支合うんなら、のっかればいい。そのくらいの裁量はあっていいのさ。

 

 でもさー。詭弁ってさー、騙されてやってもいいんだろうけど、まるっと「騙される」たら、騙す側と騙される側に、さっくり、分かれてしまうわけなんだよね。

 

 ねーねー。騙される側に回りたいっすかね。

 

 長く続く夫婦を描いたドラマとか、奥さんは旦那さんの馬鹿を承知で、旦那さんは奥さんが許してくれる範囲を承知してくれたりする。これは騙されてやってる関係に近い。妄想に近い例えだけど、人間関係でけっこう、よくある話なんじゃないかと思うんだよね。仕事場でも、長く一緒の同僚のスタンス、隣にいるうちにわかってきたりする。信頼は身近にあるのである。案外身近に。

 

 いつだって人は何か選んでいる。次に発する言葉だって、選んでる。選ぶ理由は星の数ほどあっていい。でもさ、まるっと「騙される」っても、ちとヤバいだよね。なんでかっていうと、「政治」で騙される側ってのは、いわゆる、「命」を軽く見られてるってことでもある。

 

 確信犯的蛇足。

 市町村で税金は違う。住みやすさも違う。識字率も違う。もちろん、死亡率も違うのである。はっきりしたデータみてないけど、都市伝説じゃないはず。