水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

「風立ちぬ」現実に勝てなくても生きていこうよ。

 

 スタジオジブリ作品「風立ちぬ」鑑賞。

 関東大震災第二次世界大戦という天災と人災がチャンポンの時代である。主人公の堀越次郎氏は、零式艦上戦闘機の設計主任として有名。

 

 美しい、という言葉が映画の中でよく出てくる。特に主人公は飛行機に絡むと、サバの骨も美しいという。実は、私、その感覚がよくわかる。つまりは、自分が目にした者の中を美しいと感じる感覚というか(照れる)。例えば、映画館に行くまでに7階から11階に直通のエスカレーターから見下ろす大阪駅の、天井と時計台と列車と人のアンサンブルが美しいと思っていた。計算された骨組み、ランダムな人の流れ、互い違いに止まる上からみた列車。人の英知があり、息吹がある。

 その意味で、第二次世界大戦で、悲痛なイメージさえあるゼロ戦が、戦闘機に詳しくてない私でも、美しく優秀な戦闘機という評価を受けていることも理解できる。余計なものを削ぎ落としたものは、普通に美しい。当時の技術者さんたちの英知の結晶でもあるのだ。

  自主的な勉強会ということで、堀越氏が若い設計者さんたちと深夜も活発に議論している場面がある。堀越氏の上司たちもそれをワクワクして見ていた。完成品の美しさを構成する、重要な要素なのだ、それも。f:id:miisan555:20130815015943j:plain

 愛しい男性のために、美しい自分だけを見せようとした里見菜穂子さんの切ない想い。死を自覚した彼女は、散歩すると言って遺言を残し病院に戻っていく。その心を理解した堀越氏の上司の奥方の優しさ、同じ若い女性として共感した堀越氏の妹の優しさ、女性たちの心根の豊かさもまた、美しい。

 カストルプという、クレソンをやたら食べるドイツ人が出てくる。トーマス・マン魔の山」の主人公と同じ名前である。彼が出てくるのは、戦火とは隔絶された高原で、そこで堀越氏は菜穂子さんの病気を知り、彼女に結婚を申し込む。「魔の山」の分析そのものは、私には出来かねるが、そこは時間の止まった場所だというのはわかる。堀越氏と菜穂子さんの恋人としての時間も描かれ、カストルプがピアノを引けば、皆が歌いだす。

 

 だが、日本もドイツも、世界を相手に戦争をはじめた。破裂寸前。

 そんな現実の中で、零戦は出来上がる。

 戻ってきた機体はひとつもない飛行機である。

 

 堀越氏は、少年の頃から何度もカプローニ伯爵と夢を共有する。カプローニ伯爵は堀越氏に風が吹いているか、と何度も聞く。関東大震災のときも、そう。吹いていれば、夢は展開する。どんな苦難の時代でも、風がある限り、まだ大丈夫だといわんばかりに。飛行機は、戦争の道具だった現実。いつか、旅客を乗せて空を飛びたいと願うのは、この映画では夢でしか描かれない。零戦の末路は、堀越氏の飛行機が夢に勝てなかった現実かもしれないと、さえ、思ったりする。

 

 それでも、風はまだ吹いている。

 風がまだ感じられるなら、まだ大丈夫。

 

 よく見慣れた、やさしいタッチの作品である。だが、この作品の時代背景は本当に厳しい。人災と天災がチャンポンで、人間の命を奪った厳しい現実。人間ひとりひとりの夢なんぞ、怪物のように現実は、食いちぎっていっただろう。

 それでもだ。それでも。

 

 映画館のある11階からの景色は、なかなか美しいのである。