あのう、「真綿」で「首」を絞められている感じがするんですが。
窃盗事件のニュースをみてたら、コメンテーターさんがこんなことを言っていた。
「怪しいと思ったら通報するといいです。隣近所でそうしましょう」
正しい部分もあるが、ヘタすりゃ監視社会になりかねない。確かに窃盗事件は、誰も見てないところで起きやすく、誰かが見ている、という告知は効果があるのは納得だ。偽の監視カメラだって売ってるし、警備員がいなくても「警備員がいるというシール」が貼ってる場合も。
チェーン店で出される食事の味はどこで食べても同じようで、違ったりする。大将が焼くたこ焼きと、バイトの兄ちゃんのたこ焼き、味が違うやんか、でも値段一緒だったり。
セルフが増えたガソリンスタンド。スタッフさんが給油してくれるところも残ってる。でも、スタッフさんによっては、それ、ちゃんと窓ガラス磨いてくれてるん?と思う時だってある。給油完了後に、道路への誘導もないし、ゴミも捨ててくれへん。ならセルフでもええやん、自分で給油した方がマシやん、と思ってしまいがちになることも正直ある。けど、ガソリンスタンドの優秀なスタッフさんは、車の調子が悪いのも気がついてくれたりする。自分の車しか知らないドライバーさんよりも、仕事で日がなたくさんの車を見ているんだから、視覚的にも聴覚的にも、車の知識が増えちゃってるのだ。そのデータを元に、ちょっとした見た目の違い、音の違いに気付ける能力が培われるから優秀なのである。
「エンジンの音、おかしくないっすか?」
そんな気づきで、救われた命が無いとは言えないだろう。
広告制作の現場でも、メールや電話での打ちあわせが増えた。それは時間のロス解消にはなっている。だが、お客様と話すことでしかわからない情報がある。
つまりは、制作物を目の前に差し出した時に生まれる、雰囲気のようなもの、だ。
視覚的に相手の表情や、自分の耳がキャッチする相手の声のトーンも情報。笑いが生まれたり、むっつりしたり、でも、十分、情報だ。それでわかるのは、お客様が私のデザインをすごく気に入ってるか、すごく気に入ってないかの、「度合い」なのである。それは正解かどうかわからないけれど、打ち合わせで顔を見てお話すると、情報として目の前に現れ、それどころか、ごっつい分量で感じることもある。
こんなことああった。
業界では有名な方が、スタッフの方に、「とある業者(私以外ですよん)と仕事をしない理由」を聞いていた。事務所で待っていた私は、聞き耳たてていたわけだけど、実は内容は覚えてない。でも、こんなことを思った。
「一生懸命やらんと、相手には伝わるんや」
生で聞きた情報だ、お客様の口から発せられたもの。めっちゃ正確だろう。
最近は、どーも、カタチはなかったり、見えないものから伝わってくるものが無視されてる傾向があると思うんだ。
先の窃盗事件と同じ。誰も見てないのなら、何でも有り。それがまかり通ってることが前提の犯罪。だから見られているとわかれば、犯罪は減ると言われている。見られてるか見られてないかじゃないんだな、窃盗は。やっちゃいけないかどうかの問題を吟味してない、つまり、自分で考えてねえ。
真綿で首を絞める、という言葉がある。
どうも最近、そういう感じに思えてならない。
【真綿で首を絞めるの解説】
【注釈】 真綿は柔らかいが、引っ張れば千切れないくらい強い。その真綿のようにやんわりと、遠まわしに責めていくこと。
「真綿」とは、くず繭を煮て綿状に引き伸ばしたもので、丈夫で軽い。
【出典】 -
【注意】 「絞める」を「締める」と書くのは誤りではないが、このことわざの場合は「絞める」が一般的。
【類義】 粘綿で首を絞める/真綿で喉を締める/綿にて首をしむるが如し
【対義】 -
【英語】 To be hanged on a fair gallows.(美しい絞首台で縛り首にされる)
【用例】 「妻は大声でどなったりはしないが、真綿で首を絞めるように執念深く問い詰めてくるから、かなわない」
http://kotowaza-allguide.com/ma/mawatadekubi.html