水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

図太いという武装をするための秘訣。

 幽霊さえも友達にしちゃっうのか?というのが率直な感想だった。

 細かい話は覚えてないが、とあるアイドルさん、一人暮らしなのに同居人がいる、と楽しそうにテレビで話してくれていた。部屋に置いてるもので、物音をたてるみたいである。一緒に聞いてる出演者さんは、心霊現象かも、と気づいているようだが、ご本人は、その同居人に名前までつけて友達扱い。川原泉さんの漫画みたいな世界だなと思いつつ、同時に、妙な納得をしてしまった。

 人気者さんってのは、老若男女に受け入れられるが、人気者さん自身も、普通の人よりも、たくさん、人を受け入れられる才能を持っているのだと思うのだな。彼なら、幽霊と友達になっても、全然不思議じゃない気がした。

 

 もひとつ、思い出すのは、とある歌舞伎役者さんにまつわるエピソード。歌舞伎の名門の家柄の生まれもあり、彼にはそれは驚くほどたくさんの霊がいるという。それはそれですごいなーと思ったけれど、感じ入ったのは、その後の話だった。

 そういう環境でも、彼は、いつもの通りなんだそうである。

 テレビでときどき観るその歌舞伎役者さんは、穏やかな顔立ちで、立ち姿の美しい男性。

 スピリチュアルな話でなくとも、歴史ある芸を持つ彼が背負うものが大きいのは理解できる。普通の人よりもとびきり、大きいだろうに。

 

 アイドルさんと、歌舞伎役者さん。その二人に共通してると思うこと。

 「びくともしない、図太さ」

 

 親しみを覚える相手の行動に、傷つくことはない。

 不動の道を歩む人は、どんなに大きいものも背負えちゃうのである。

 

 彼らほどの図太さを一般の人間が持てるはずはない。人に傷つき、悩み、自分の力のなさに弱音を吐きたくなるのは当然なのだ。でもときどき、彼らを思い出してみる。

 

 そんなに嫌われては、ないない。

 何にも出来てないこと、ないない。

 

 思い込む必要はない、わずかであろうが、そう思える証拠を見つけてみればいい。アイドルさんの同居人は彼に危害を加えていない、とか、歌舞伎役者さんは、その芸を守り続けているとか、そんな感じで。見えてないものを探すのだ。

 

 この話を書きながら、社会学者クーリー「鏡に映った自我」を思い出した。他者を鏡に見立てて自我を説明する概念である。自我については、さまざまな説明があり、学問はマニュアルじゃないから、あてはまるあてはまらないはやれないけど、物事を考える材料にはなってくれるなあ、と思うのである。