水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

衝撃の犯罪と「こんな」世の中と、わたし。

 衝撃的なニュースは何も、報道からだけでない。

 何気なく職場で、新幹線が遅れているからスケジュール通りにならないという話を電話でする同僚がいた。よくある話に聞こえていたが、突然、原稿を打ち込むため動いていたキーボードをたたく自分の指が止まる。

「焼身自殺ゥ?」

 電話の同僚の声がうわずり、私だけでなく同室で働く同僚もモニタから目を離して仕事を中断している。衝撃的なニュースは対岸の火事ではない。誰かの身近で起こっているのだ。

 まずは冥福を祈る。特に巻き添えで亡くなられた方がいたのは痛ましい限りだ。

 そして少しづつ、名前に容疑者がつけられた70代の男性について報道されるようになる。

所持品に現金なし=自殺の男、生活苦動機か-新幹線放火・神奈川県警

(2015/07/01-19:53)時事ドットコム

 

未必の故意」が適用されるという話がある。

 

デジタル大辞泉の解説

みひつ‐の‐こい【未必の故意

犯罪事実の発生を積極的には意図しないが、自分の行為からそのような事実が発生するかもしれないと思いながら、あえて実行する場合の心理状態。 

 大事なことだからもう一度。巻き添えで亡くなられた方がいる。また強烈な光景を目に焼き付けることになり、心に大きな傷を得た方もいるはずだ(私は最初にそれを思った)。彼の行為によって、他人に与えた被害は甚大である。

 他人に被害を与える行為は、大人ならある程度、結果が想像できる。その想像が抑止力になる場合が多々ある。この場合の大人は、正確に結果が想像できるレベルの人を指す。今回の容疑者がその大人に類する想像をしていた場合、「それでも」動いた理由がどこにあるのか。

 「ブレイキング・バッド」という海外ドラマで、主人公の化学教師ウォルターホワイトが麻薬ビジネスに手を染める発端は、アメリカの状況をよく描写していると言われている。教師であるのに、ガソリンスタンドでアルバイト。医療保険にも簡単に入れない状況で、彼はガンに冒される。愛する家族に何も残してやれない。物語はやがてこの美談のような犯罪の動機も、薄れていくのだが、社会が何もしてくれないのなら、自分でなんとかしよう、という気持ちが生まれたのは、嘘ではないようである。

  アメリカの保険制度が手厚いものであれば、ウォルターホワイトは存在しなかったかも知れない。少なくてもあの素晴らしい衝撃のドラマはなかったかもしれない。相反する表現のようだが、彼の犯罪は社会の制度と密接につながっている。

 (念のため注釈するが麻薬製造は彼の個性からも発現した犯罪でもある)

 

 最近の日本。

 何もかも価格があがり、税金もあがっている。その上、「自己責任」という、まだ何か負担をさせたいのだろうと思えるような風潮がないだろうか。今の日本を表すような優れたクライムストーリーが生まれたなら、感動とともにわたしは痛みを覚えるだろうと思う。