大丈夫?と困惑しながら笑い続けた。〜THE MANZAI 2013
思わず画面の前で手を叩いて笑いながら漫才を見るのは本当に久しぶりだった。
手を叩く必要なんてないんだけどね。ただ、吹き出して、目を細めて、勢いよく手を叩いたとき、画面の中でも、会場が沸いていて、演じる漫才師さんは上機嫌の顔をしている、これって、幸せな時間だと認識すべきものだと思うのだ。当り前の話だが、幸せは簡単に得られるものではない。だから今年のTHE MANZAI 2013のファイナルには感謝である。おつかれさま、ありがとう。
スポーツの最高の試合を観戦したときのような。
幸せな時間だった。息詰るスポーツの試合をリアルタイムで観戦したときのような感じに似ている。その試合は二度と再現されない。その1分1秒を共有している時に、無駄な御託はいらなくなるのだ。だからこそ、出演者一人一人に対する感謝からまず始めないといけないと思うのだ。
漫才を知る者はネタの変化に気付きながら見ていた。
ふと気付いた。THE MANZAI 2013の審査員、および、北野武氏がネタの選択にたびたび言及していたと。M-1ぐらんぷり、の時にも見られたが、そのときは、評価の一形態でしかなかった。だが、今回は出場する側が拮抗していたこともあり、「ネタの選択」の差が勝敗に関わってくる、または、その差こそが、技量の差がない中での数少ない選択肢という指摘にさえ思った。
自分たちのやりたいことをやるか。
勝ちやすいネタ、受け入れやすいネタをやすか。
ファイナリストたちの話芸
漫才も他に漏れず、才能と努力によって一定のレベルまで引き上げられるものだろう。よく通る声も滑舌も、そして表現力も一朝一夕ではないだろう。全ての職業にも言えるように、ある一定のレベルまでは、多くの人が到達できるものだ。今回のTHE MANZAI 2013も、そのレベルを超えた漫才師さんが集まっていた。
だからこそ、自問自答しただろう。
自分たちのやりたいことをやるか。
勝ちやすいネタ、受け入れやすいネタをやるか。
そういえば、最大の賞品はメディア露出だった。
だが、果たして、技量の差が拮抗していたなら、ネタの差が評価につながるのだろうか。勝ちやすいネタをすることが正しいのだろうか。
審査員や、北野武氏は今回のTHE MANZAI 2013に疑問を呈して、「ネタの選択」ご言及している気がする。ましてやこの番組の最大の賞品は、テレビ出演である。商業ベースに乗れない芸人さんを選抜できるはずがない。いや、選抜されるはずはない、という考えは、演じる側にも常に頭に浮かんでいたことだろう。
それは仕方がないことだ。
それでも先の先を超えて行こうという試みが見えた。
今回の「ウーマンラッシュアワー」の漫才はTHE MANZAI 2013という番組をパロっているようにも見えた。お笑いが好き、みんなの笑顔が好きといいながら、相方に、有名になりたい、もてたい、と言わせる台本の仕組みの中に、お笑いが好き、だけでは成立しない現実に対して、お笑いが好きであるものたちが反撃しているようにも見えた。
今回の「NONSTYLE」の漫才に、いくらボケが多いと言われてもボケ続け、漫才を楽しむ姿を見た。
しかしこの二組こそが、突出した勝ちにいく漫才だった。私は困惑しながら笑っていたと思う。
だが、また気付く。この番組の趣旨を彼らは乗り越えようとしていた。
ネタをつくり、演じ、演出をかねた漫才という芸
「THE MANZAI 2013」を見ながら、だんだん、「ウーマンラッシュアワー」と「NONSTYLE」の一騎打ちを見たくなっていた。
「NONSTYLE」は決勝よりは勢いを失したが十分すぎる話芸に吹き出す。審査員の一人が彼らを進化したと言ったが、まさにそう。井上はマイペースだが、石田がだんだん楽しくなっているようだ。もっと笑わせたいと、いう意気込みが漫才を豊かにする。自分たちの持っているもので戦おうとする意気込みがあった。
「千鳥」の二人の顔が、関西にいるときに近づいてきた。時折見せる表情がやわらかい。勝負する「千鳥」ではないが、皆に愛される「千鳥」になっている。
そして「ウーマンラッシュアワー」。
村本のキャラ全開が石田の激しいボケに重なる。井上が安定したツッコミをする。表情もよく受け止めている。だが、村本に翻弄されるパラダイスは、漫才の立ち位置で、表情を豊かに変え、のけぞり、あらん限りのパフォーマンスを見せた。演出が強い。映画と同じように、俳優の演技だけではなく、演出の上手さも作品の要素ではある。そのわずかな違いが勝利を呼び込んだ気がする。
自問自答しながらも選択するのは自分。
漫才を知る審査員たちが見ていたように、賞を狙う漫才師さんたちの漫才がかつてと変容しているのだろう。リラックスした「千鳥」が見せてくれた芸の楽しさは、他の二組よりも漫才らしいとも思う。
でもその実、もっと先があることを、見せてくれる大会にも思えた。