水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

【そうだ、選挙に行こう】投票しとかないと国はいつか落ちぶれる。

 2013年参議院議員選挙は 7月4日(木)公示、7月21日(日)投開票になる。

 

  徒然に覚え書き。

 宣伝カーや街頭から聞こえている「大阪には○○が必要です」って誰が決めたん?

「○○を助けてください」っていうのは、正直すぎる。投票は人助けじゃねえ。

 理路整然と納得できる演説には、演説と投票行動って別だなー、なんて、心の中でつぶやいてみたり。

 かわいらしいゆるキャラに釣られて候補者のチラシを受け取ってしまい、これでいいのか、選挙活動?とクビをひねる。

 

 

 最近、家族と生存権(日本国憲法第25条)について話をした。でも、今回は憲法解釈じゃなくて、「なんでこういう文面が記されただろう」ということに触れときたいと思う。後世に残るもんだって、意識してつくったもんでしょ、憲法って。

 

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 

 釘をさしたんじゃないかな、戦後のこの国に、と思ったりした。文面に残しておいたら証拠になるが、何もなかったら口約束。言った言わないの問答になる。

 

 1930年の朝鮮を舞台にした韓国ドラマ『京城スキャンダル』は魅力的な俳優さんが演じるコメディ仕様のドラマだった。設定された時代から日本人が悪役として描かれる部分のあるドラマは、見て見ぬしているようなことを日本人に提示してくれたりする。健康で文化的な最低限度の生活を簡単に人間は人間から奪うし、奪われる側にもなるのだ。

 

 間接民主制としての投票するのはもちろんの話。そして、自分の1票があまりにも小さいものだと思い知ることも多々ある。だが、投票行動ってのは、自分や国や政治や世界に釘をさせる行為のひとつ、しかも、必ず、効果のある行為だと私は思っていたりする。

 

 見られていたら、人は意識するけど、見られてなかったら、何してるかわかんない。

 

 だから、今年の夏も投票に行こう。