水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

財布を忘れたスリリングな1日。

 財布が入っている鞄を鞄ごと忘れた、家に。

 おっちょこちょいは治らない。駅で気づき、一緒だった家族にお金を借りてなんとかやり過ごすことにした。ところが、その財布には家の鍵が入っているから、まあ大変。本日は私の帰宅がはやく、閉め出されてしまうのは、決定である。

 迷惑かけないようにと、仕事を終え会社を出てから家まで、どやって安全に快適に過ごすがプランをたてた。で、まだ家にいるだろう家族に電話する。「心配せんといてや」と。ありがたいことに届けようか、と言ってくれたが、自分の時間を大事にしてほしかったから断った。気持ち、すごい嬉しかったんだけどさ。

 

 それからコンビニで買い物。財布は小銭とお札が別々に収納できるようになってるが、本日は財布がない。小銭もお札もいっしょくたで、支払いが面倒である。でもその面倒さを楽しむ(後ろに人が並んでないので)。公衆電話から電話をするのに、小銭かテレカを買うか迷う。カードもエディやICOCAもないから、持っているお金だけが全てである。何かあったら大変だ。ゆとりを維持する必要がある。緊縮財政だ。

 

 23時に家族と連絡がとれ、家路へ急ぐ。駅への道すがら、たたまれた1000円札が通路に落ちてるのが見えた。家路を急ぐ人が通路を埋めている。忙しい足取りの中、おいてけぼりの落とし物。裸の1000円札に、もしや、と自分のポケットを探る。ポケットから落ちないように、手近な紙にお金は小銭もお札もいっしょに包んでいるんで、大丈夫だった。

「お金落ちましたよ〜」

 と呼びかけてみるが、応答なし。誰かもらっておけば〜という声さえ聞こえる。妙齢のおじさまが駅に届ける、と誰もに見えるように1000円札を拾ってスタスタを歩いていかれた。お願いします、と心の中で、頭を下げる。結構、勇気のいることだ。

 

 お金を使う、お金を管理する。財布はとても便利な発明品。いろんなことを思い出していた。便利になるということは、大事なことを忘れていくもんさな。