水がある限り金魚は泳ぐ

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国民的アイドルの持つ潜在的能力

  昔。こんな説明をしたことがある。

「SMAPってね、Sports Music Assemble People の略称なんよ〜」

 森光子さんがゲストで出ていた情報番組で、誰かがそんな説明をしていたのをうっすら覚えていて、仕事の出来ないぺーぺーのときに職場のベテラン勢に説明して差し上げた。ウチの母親は、ジャニーズの方々のパフォーマンスを楽しんでいた節もある。本格的なファンでもなければ、ごひいきがいたわけでもない。「うんうん」とテレビを楽しそうにみていた程度のもの。私もあまり変わらない見方かも知れないが。

 

 ただ、社会学というのを少し囓り、広告としてのアイコンを職場で探る日々だと、SMAPは、常になんだかの考察のサンプルになる。私が特に気にしているのが、中居正広さん。歌のうまくない歌手として有名である。なんで歌手なの?と首を傾げる知り合いに、「真ん中担当」じゃないかい、と説明したらなんだか納得されたりした。木村氏をセンターに置いた場合、とか、稲垣氏をセンターに、草なぎ氏を、香取氏をセンターに、とか、仮想のグラビア、仮想のパフォーマンスを想像してもらうと、派手すぎたり、頼りなかったり、なんだかんだて中居氏に収まる。歌によって番組によって変わるのは、パフォーマンスの効果を狙ってのこと、ただ自然に集まったとき、中居氏がセンターだと一番しっくりくる(もちろん、全部が全部じゃない)

 

 「真ん中担当」は、いろいろな集団にいる。集合写真をとったとき、おのずと押し出される人でもある。えらいさんが真ん中にいく場合もあれば、若手が押し出されることもある。野球やサッカーで、スター選手よりも、人と人をつなげるキャプテン的な役割の選手が真ん中になることもある。

 

 中居氏の「真ん中担当」は、集団を進行させるときに機能する。自分が進行しないと、彼は端っこにいることがある。時折、若手漫才師が初めてテレビに出たときなど、彼らを真ん中に押しやる。SMAPのメンバーの新番組の番宣に一役かう。だが、中心にいるのは中居氏で、そこから枝葉がでているように見える。枝葉同士の交流はなくても、中居氏とは皆が関わったことがある、という具合に。

 

 ラジオでオードリーの若林氏が、居るだけで場が明るくなる「太陽」のような人っているよね、と、自分は全く真逆だといいながら語っていた。「太陽」という存在もまた、「真ん中担当」に似ている。同じように、人を惹きつける引力を持つ。中居氏にも「太陽」のような人になり得、年齢を得てからは、自分の存在を立ち位置を変え、発言を変えて、コントロールして押さえる術を身につけつつあるような気もする。ま、年をとるって、そゆうことでもあるのだけど。

 

 SMAPにはよく、国民的アイドルグループという形容詞がつく。だが、それはもうしばらくのことだ。その先にあるものを考えるとワクワクする楽しみでもあり、空恐ろしいものもある。「真ん中」からの発信力はとても強いのだ。