水がある限り金魚は泳ぐ

本と読書と映画とドラマ、そして雑文。

毎度恒例、お参りしたら「おみくじ」をやる!

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今週のお題「ゲン担ぎ」

 

 1月4日くらいだったかな、今年は、あまり出歩かなくなった父を車に乗せて、地元の神社に初詣。久しぶりだから四方八方をみて、父は思い出を語ってた。秋祭りの賑やかな土地柄、私もだんじりを思い出す。そして、お参りのあとは、半ば嫌がる父を無理やり並ばせておみくじである。六角形の箱をジャラジャラ回して細い棒を出す。番号がでてくる。その番号を窓口でいえば、細長い紙がもらえる。大吉とか小吉とか。

 私もやる。おもいっきりジャラジャラする。

 父はさらっと読んで、きちんと折ってくくりつけてた。もう終わったぞ、という顔をして待っているようだった。

 

 お参りしておみくじ引いて、くくりつけて。

 そんな短い時間の正月のお祝い事で気持ちが上がってくる。これから1年が始まる。何をやるわけじゃないけど、さぁ、いくぞ。スタートラインに立つまでだって、道がある。

 

 実は今年、父との初詣以前にも、おみくじやってた。

 3回目・・4回目かな。

 旅先で、自宅近くで、機会があったらお参り、おみくじ。まず自分のを見て、旦那のをみて、お互いに、「我慢みくじ」「戒めみくじ」と内容解説。「我慢みくじ」は大吉などに多く、これまでつらくても、もうすこし我慢したら、よくなります。「戒めみくじ」は今までよかったけど、信心しないと、ダメになるよ。勝手に解釈して、くくりつけてくる。「いいことあるかな」「油断しないでいこね」などなど言いながら。気持ちが上がってくる。

 

 お参りにすがるわけじゃない。おみくじに頼るわけじゃない。実際、今年もいろんなことが起こるけど、お参りのこと忘れてると思うのだ。

 でも毎年、正月は、機会があったらお参りしてる。おみくじ引いてる。正月の間にやれるだけやっとく。

 

 なんだってやれるだけやっとくのだ。やれるだけやったってのがいちばんのゲン担ぎ。そして1年のスタートラインにたつ。やれるだけやっといた方が気持ちいい。

 

 おまけに、1月は、えべっさんにも行ってきた。お参りして、おみくじ引く。ちゃんとくくりつけてきた。

 

 

 

「彼女」のことを考えるべきだ〜ニュースの中の人物描写

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 女流という言葉が残っているほど、その職業はまだ女性の数が少ない、という話を聞いたばかりである。広岡浅子さんの活躍を語る落語家さんは自ら、「我々の職業はまだ」と女性の落語家さんを女流という言葉でくくっていると言っていた。真っ先に浮かんだのは、看護師さん。必ずしも女性だけじゃない職業である。

 

 東スポさんの1月26日の記事から。パワハラ、セクハラのニュースである。同じ内容のニュースはテレビでも何度も聞いた。

 同誌によると、番組の打ち上げの2次会で、10人ほどがいたカラオケ付き飲食店で、登坂アナの両脇には新人の女性契約キャスターが座った。席についた途端に女性のヒザを触り始め、反対側の女性の太ももも触ったうえ、一人の20代女性に「一緒に抜け出さない?」とささやき、女性がトイレに逃げると、登坂アナはトイレ前の廊下まで追い、暴挙に出たという。

 知名度のあるアナウンサーのニュースである。報道番組のキャスターになるはずだった。業界でも有名だったらしい。アメリカでも報道されたらしい。

 

 なんだか悔しくなってくる。

 

 「彼女」のことは?

 

 個人情報としての彼女じゃない。弱い立場にいるから被害にあうたくさんの「彼女」のことだ。それはもちろん「彼」も含む。さまざまな報道の中にいるたくさんの「彼女(彼)」は、自分が納得できない力に逆らえない状況にいて、サイレントマジョリティに囲まれて、被害にあっているのである。

 

 引用したニュースの中にも、彼女の人物描写がある。その人物描写は、彼女の個性の一つでもあるが、彼女が被害にあった理由でもある。彼女が職業を決めたのも、その場にいたのも、自分の意志ではあるだろう。だが、彼女は、弱い立場だからセクハラパワハラを受ける可能性がある、という文面にハンコを押したわけじゃない。もともと、書いてあるわけでもない。知っていたとしても、誰も書かない、そんなことは。

 

 大きなニュースが報道されるとする。その中で一番大きな役割をした人が主語となり、その人が何をしたか、が語られる。それはそれで当然のことだ。だが、その他の人物は、年齢や職業形態、雇用形態、性別だけでほんの数文字で終わる。仕方ない、とはわかっていても、人物はそんなことだけで表現されるものではない。ともすれば、無視してはいけない問題だって孕んでる。

 

 犯罪に関わる小説を読むとき、利用されるのは、いつも「縁者」のいない者である。それは立場が弱く、誰にも気にされないからという理由なのである。

 

 

gendai.ismedia.jp

「101回めふ乃寄席」落語を愉しんできた!

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 「101回めふ乃寄席」に行ってきた。14時開演、当日受付で。でも空いてたわけじゃない。満員御礼。運が良かったかもである。

 会場の「めふの間」がある「ピピアめふ」は商業・住宅・公益施設とある通り、今日は1995年の阪神・淡路大震災に関わる写真展示をあった。

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   それに、2スクリーンの映画館「シネピピア」の待合にはズラッと映画ポスターが並び、書棚にはギッシリと映画関係の書籍が。写真撮ってきたけど、話が寄席からずれそうなので、ここで紹介は終わっておこう。

 

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 落語家さんご本人による「錣(しころ)打ち」で開場である。しころ打ち、調べたけど、見たままのしかわからなかった。賑やかで楽しい。

  14時ちょうどに始まって、桂白鹿さん、登場。4年目、桂文福さんの門下(師匠は別の方)でインドのトイレでのエピソードで会場が湧く。落語に慣れてない私も入りやすい喋り方をされていたが、題目「煮売屋」になると、落語家さんモードで登場人物の口調に変わる。煮売屋に置いてあるお酒は、むらさめ、じきさめ、とにかく、村でたら、すぐ冷めるお酒のみである。

 二人目は、明石の公園で「桂阿か枝さんて知ってますか」と聞かれたことのある、桂阿か枝さん。エピソードトークもかなり面白かったけど、その後、「蝦蟇の油」の油売り口上で、切れ味抜群の刀で紙を切る所作に唸ってしまった。そして酔っ払ってからのはちゃめちゃ口上に会場、笑いが大きくなる。

 三人目は、林家染左さん。手慣れたしゃべくりにすぐ巻き込まれる。朝の連続テレビ小説わろてんか」の落語指導をされてるとのこと。入場時にいただいたチラシに名前がちらほら、精力的に活動されてるようだ。江戸のお金の単位の説明がイントロであったから内容がわかりやすかった「人形買い」、しかも登場人物が多いのに内容もわかりやすい。満足満足。

 四人目、仲入り後に、林屋竹丸さん登場。創作落語広岡浅子奮闘記」。男勝りで、前向きで生き生きとした広岡浅子さんが笑いを交えて紹介される。朝の連続テレビ小説「あさが来た」にも出演経験ありの竹丸さん、ネタも細かく聞き応えある。笑わしてもらったけど、どちらかというとお話を聞いている気分の方が大きい。広岡浅子さん、詳しくないけど、落語の中で人々はとても生き生きとしてるから、浅子さんのような題材はぴったりと思えてた。

 

 1月恒例のお楽しみ抽選会では、奇妙なことが起こった。当日券を買ったとき、一人1枚のはずが、私には2枚重なってやってきた。すぐに1枚戻したのだけど、戻した方の1枚に書かれていた番号が、お楽しみ抽選会の当選番号になっていた。こういうことよくあるのだ。福引で強引に横入りされて、その人に特等が当たったり。もう、悔しいとか思わない。抽選会そのものも落語家さんたちの進行で、楽しませてもらったから十分なのである。

 

 落語はもともと、落語が詳しい人だけのものじゃないのだ。だから私も十分楽しかった。心がホコホコ、暖まった。

高騰した野菜の、その後の展開

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 鍋の季節である。でもなかなか土鍋が出せない。というのは、材料を買えないからだ。白菜、大根が特に。

 2018年1月27日土曜日のNHK、関西のニュースより。大阪の中央卸売市場の情報である。

 

特に深刻なのが葉物野菜です。

 ▼九州や和歌山産などのダイコンが1キロあたりで去年の2.5倍の186円、▼四国や九州産などのレタスが1.9倍の380円、▼兵庫や愛知産などのキャベツが1.8倍の175円、▼四国や九州産などのハクサイが1.7倍の169円となっています。

 

 

 当然、台風や低温のためなのは理解してる。でもあんなに高値がついてたら手が出なくなる。そしてふと、売れてるのかな、と心配になる。

 頭に浮かぶのは、売れ残って「半額」シールが貼られた野菜だ。ちょっと萎れた葉物野菜がやっと買いやすくなる。または、高騰のときほど、半分の野菜、4分の1の野菜が増える。それでやっと買いやすくなる。

 

 野菜ナビからを見てると白菜の収穫量は、茨城県が26.38%、長野県が24.85%。3位の北海道が3.35%になる。農林水産省のデータを参照にしてるとある。細かい数字はともかくも、白菜の産地は二つの県で50%以上。レタスも長野茨城が多い。小松菜は埼玉茨城福岡。キャベツは愛知群馬(茨城も上位)。高い野菜を見繕って調べたら、産地が似てる気がしてきた。ということは、そこが打撃うけたら、もう、その年はあかんというわけだ。

 

 高騰しやすい野菜を新鮮な状態が安くすれたらビジネスになると考える人が当然いるだろうと思う。産地偽造も後をたたない。どんな野菜も1年中出回ってはいるから、もっと技術が進化するかもしれない、が、それはそれで、たぶんに怖い。クローン野菜とかね。

 

 前に読んだ本で、外国が日本の美味しい米や農作物を買ってる話があったのを思い出す。その国は飢餓を前提に対策を練っていて、日本の野菜で世界を牛耳ろうとしてたような。たぶん、小説だな。でも、本当にありそうな気もする。世界中で砂漠化は進んでいるし化石燃料ははいつかなくなるし、当然あると思っているものは有限なのである。

 

 対策を考えるべきか。でもその対策はあらぬ方向へ進みかねない。人間の口にいれるものだ、まちがった方向にすすんだら、空恐ろしいことになる。

 萎れた野菜が半額になる程度じゃないのである。

 

転ばぬように歩こう。〜雪が降ったアスファルトの道で

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 この町で雪が降るのは珍しい。

 22時を回って降り立った最寄駅、アーチ状の橋が歩きにくい。ゆっくり小さく歩こうかと思ったが、かかとからつま先へ重心移動しながらいつも通り歩くことにした。結構、普通に進む。自転車を押して進む人とすれちがう。

 転ばないで家に帰ろう。

 転んだって平気だ。でも、転ばないように歩けば、普段通り家でくつろげる。でも転んだらお風呂だって入りにくい。下手に転んだら骨が折れるかもしれない。転ぶと転ばないで大違いだ。

 スマホで、おそらく家の方に「雪が降って歩きにくい」と説明してるのが耳に入る。スマホに気をとられて、転ばないでね、と思った。道ゆく人にも転ばないでね、と思った。転んだっていいけど、転ばないように歩くことはできるから。いつもより少し気を使って、地面を意識して歩けばいい。

 途中のコンビニにある公衆電話で、帰りが23時半になるそうな連れ合いに電話をかける。電話の理由は転ばないでねと伝えること。1秒の油断で転ぶかもしれないのだ。

 

 そういえば、初めて入る温泉では、表示に段差があると書いていても油断してよろけてしまうことがある。周りに迷惑かけて謝って、「今日はこのお風呂初めて」と言い訳したりして。油断大敵。

 

 この町に雪が降るんだから、たくさんの人が凍った道を歩いているはずだ。

 みなさん、転ばないでください、と祈る。

 そうして私はなんとか転ばず家路に着いたのである。

他愛はないけど、その日は過去と未来がごちゃまぜだった。

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 いつもと同じように仕事してたら、ずっと前に返事しっぱなしの案件がいきなり戻ってきた。その案件は、最近仕事場から去った人が、私につなげてくれたもので、とてもややこしい案件でもあった。

 その案件をどうやったらクリアできるか。

 新しい人を探すしかないと思った。去った人が残したもので新しい展開か、と思いながらメールを即刻いれた。はじめまして。そしたら、返事がきた。だが、誤送信かなと思われる意味不明な一文が。ついでにその方のフェイスブックにいく。小学生くらいのお子さんと並んでた。

 そんなこんなで、今日の仕事の一番の難問は、いままでと違う新しい展開をした馴染みの案件だ。学術的でとても難しいものを、ビジュアルにする。手がかりは見つけたがやってみないとわからない。念のために、詳しい人からも話を聞く手配をした。もちろん、提案できるように十分準備して。

 

 日付が変わったけど、他愛のない1日。でも去っていた人が新しい人をつなげて、旧知のものが新しい展開をする、そんな1日だった。

戦争の根回し〜アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』

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 戦争は突然起こる、という話を聞いたのは動画で観た「TED」の講演。ジャーナリストさんがご自分の体験を語っていたように思う。いつものようにショッピングをしていた大通りに、突然、轟音をたて、戦車がやってきた。日常はプツッと切れて、戦時下に早変わり。恋人や家族、友達が楽しく歩いていた道に武器を持った兵士が現れ、今まで、と、これから、に明確な境界線が引かれる。

 

 今日たまたま、昔買った雑誌(なんと「通販生活」)に挿絵付きで『戦争プロパガンダ10の法則』が載っているページにぶち当たった。目的は別にあったのにそんなこと忘れて夢中で読んでた。絵だけじゃなくて、心に響くように言葉も少しリライトしてあった。後述で本当の本文も載ってたけど、どちらも同じくらい考えさせられた。

 

(1)「われわれは戦争をしたくはない」
(2)「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
(3)「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
(4)「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
(5)「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
(6)「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
(7)「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
(8)「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
(9)「われわれの大義は神聖なものである」
(10)「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 

 ひとつひとつが、というわけではない。改めて、考えなきゃと思った。戦争は、始まってしまった時点で、日常はなくなる。始まる前と始まってからは大きく違うのだ。そして始めるためには、始めたい人が、綿密に日常の中で準備し始めている。

 『戦争プロパガンダ10の法則』は、戦争はしたくない、に始まって、(戦争はしたくないと考える者は)裏切り者で終わっているのである。

 

 

ロシアとの緊張関係が高まっているスウェーデンが、戦争を含む有事の対応マニュアルを記したパンフレットを約470万の全世帯に配布する準備をしていることがわかった。複数の海外メディアが報じた。5月に発行される見込みだ。

スウェーデン 、戦争への備えを国民に呼びかけ 高まるロシアとの緊張関係

The Huffington Post Japan,